コウスケの部活生活も1ヶ月半を過ぎ、『理不尽』って言葉を覚えて帰って来た。
オヤジに愚痴ってみる。でも言われることは1つ。
『体育会系の縦社会は王様と召使い』先輩は王様。1年は召使い。これは当たり前!オヤジの時代からずっとそうらしい。
私にはわからない感覚だか、周りの父友達もみんな
『そうだ。コースケそんなもん。』って言うからそうなんだと思う。
そんな中コースケがAチームの練習の為副審をやり遅く帰って来た。コースケは選ばれず帰ってもよかったらしい。”誰かして欲しい”って言われてコースケがやったらしい。副審して後片付けして、忘れ物持って帰って来てひと言。
『いつも俺なんよ。なんでやろ?』
帰っていいよ。って言われた子たちは、2時間前には家に帰ってる。けれど帰らずチームの為に今出来る事をやってきた。彼は、お人好しのお馬鹿さんなのかも知れない。
でも、私はそれでいいと思う。そんなコウスケが誇らしい。理不尽はその内理不尽ではなくなるだろう。
彼の大事な財産になるだろう。お金では買えない。大切な財産に。
点数稼ぎと言われても、お人好しって言われてもそれが、コウスケなんだと思う。
頑張れ!コウスケ!
コウスケは今、不条理とジレンマの中でもがいています。少し”脱却への出口”がおぼろげながら見え始めているようです。
クラブではなく部活はそれなりの矛盾や不整合性や観点の相違があるようです。
ジュニアユースが恵まれ過ぎていたのでしょう。世間一般ではこんなものです。
”悩んで大きくなれば、それでいい。自分の信ずることをすればいい。サッカーの神様に出会えるまで頑張ればいい。
『ラッキー(^0^)また鍛えてもらえるやん』と、超越したらいい。
コウスケにしかできない事があり、それを貫けばいい。
いつそれに気付き、最後は自分のためになることが実感できるまで励まそうと思っています。
コウスケスタイルを曲げることはない。そう、言い聞かせます。
サッカーの神様もちゃんと見ています。
どんなに理不尽な社会であっても、陰で努力する人やコツコツ頑張る人が報われないわけがない。
大人が見ている時だけ、誰かが見ている時だけ、やっているようなふりをする人間が成功した例を見聞きしたことはありません。
見抜けない大人により、残念ながら日の目を見ることもありますが、それは一瞬のこと!
最後の最後に勝つ人・サッカーの神様がほほ笑む人は、いつの時代も決まっています。
こうすけよ!他人なんかどうでもいいやん。
全部自分に返ってくる。
ラッキー(^0^)また鍛えてもらえるやん。と思え!
今のままのスタイルを貫きたまえ!
それでこそ、こうすけ!