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姉と義兄の13回忌を前に!

2009-01-19 21:49:32 | 想い

姉が54歳の若さで義理の兄が56歳で突然にこの世を去り来月

二人の13回忌の法要が営まれる。

 姉の死から翌年その夫も肺がんでこの世を去った。

2月11日祭日の朝に突然倒れた事を姪のMちゃんから電話有り

救急車にて病院に運ばれ手当てを受けている

祭日でのんびりと寝ぼけ眼でいたときの突然の電話

私は気が動転してオロオロするばかり

娘が機転を利かしてボストンバックに必要な物をとりあえず

詰め込んでくれ私は新横浜に急いで向かった。

丁度その日はとても寒く小雪が舞い散っていた記憶がある

新横浜から新大阪までの距離の長さに苛立ちを覚えたが

今と違い若い人ならともかく私のような年代はまだその頃は

携帯電話など持っていなかった。

車内では姉の容態が分からずに落ち着かずただ無事にいて

欲しいと願う事しか出来ずに到着を待った。

新大阪に着きそこから私鉄に乗り換え最寄り駅までが又時間が

かかりイライラ空しく時間だけが過ぎていく。

姉の搬送された病院の最寄り駅に下車したら弟のお嫁さんが

車で私を迎えに来てくれていた(その義理の妹もその後、交通事故に遭い

闘病中に肺がんが見つかり44歳の若さで姉の死から数年後に逝去)

車に乗るなり義理の妹が(お姉さん意識なくて酸素マスクを付けて

危ない状況だ)と知らされた。

姉の夫は和歌山県に単身赴任中だが駆けつけICU室のベットで治療中の

横で姪のMちゃんと二人が見守っていた。

私が着いたときは多くの親戚が駆けつけ姉の容態がただ事ではない事を

察知せざるを得ない状況にきている事を悟った。

姉の息子はスキーのインストラクターで長野の山に行っており

山から下りて母の倒れた事を知らされ急遽病院に向かっている

最中で医者は息子の到着まで姉の命を繋げる事に努力してくれていた。

息子も時間を掛けてやっと母の元に 

姉も息子の来るのを待っていたのでしょう

家族や、兄弟、親戚の沢山の人々の祈りも空しく姉も必死に

生きようと努力したが力尽き、翌日の朝旅立っていった。

今でも姉の死から長い年月が経過しているがいまだ悪夢を

見ている様に錯覚する

あの時は悲嘆に一瞬言葉をなくした

最愛の姉の死をいまだ受け入れたくはないが年月を重ね

その後には姉の夫、父、義理の妹、母を亡くし

今頃は天国で又家族としてどの様な生活を送っているのかと

時々死後とはとどうなるのかと漠然と考え込む。

来月の法要にあたり新幹線のチケットも買い求め

今は亡き姉の自宅に足を運び在りし日の姉と義理の兄を

偲びたい。哀しい帰省になる。