千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

若手組・・part1

今回も「博多山笠記録」からの参照です。
この資料は各流の代表者の記憶等で綴られとりますばってんが
じっくり読んでみたら記述に年代の幅が結構あって
資料ものでは江戸後期~明治の初め頃やら昭和の戦前~近年では
昭和30年代まで広域にまたがっとります。
年行事で決まった行事ごとはこの頃からあったって言う反面
そん時はこげんしよったって言うとが参加者の記憶で
綴られておる資料です。
いわば明治大正時代生まれのおいしゃんたちの生きた記録です。
今や昭和初期生まれのおいしゃんたちもすでに鬼籍に入った人も多く
ここではその次の年代「おいしゃん」達がその記憶ば残しとかないかん
て思うて書き続けよりますったい・・

そいけんここでも総して広範囲で「昔の博多では」て言うことにしときます(^^♪

前回書いたとが「子供組」
子供たちは15歳くらいになったら「若手組」の仲間入りです。
現在のごとその歳(中学生)になったら自動的に所属するっちゃ無うて
親が酒やご祝儀ば包んで町に申請して初めて若手入りしよりました。
当番町の関係で13歳くらいで若手入りすることもあったごたります。
「子供組」とおんなじで早く入ったもんが台上がりの関係やらもあって
序列が上になりました。
これは今の振興会も同じのごたりますね(^^♪
早いもん勝ち・・・(^^♪

若手の上は中年組・・・・・
基本的には独身の間は若手組で結婚して所帯持ったら中年組。
今の山のごと途中参加者が40代50代はたまた60代で若手(皿洗い)って言うととは
根本的に違います。
ばってんが昔も若手入りしたら皆、貧富の差なしに「七輪起こし」からでした。
昔は直会(なおらい)はすべて男手で賄いよりましたけんね・・
昔の直会は今のごと豪勢や無うて酒のかんつけにこぶするめ、
おばいけ(クジラの脂身)くらいでビールやらも無か時代です。
15日はアサリの吸い物におきうとが定番でした。
おいしゃんが若手(赤手拭の若手)時代には先輩赤手拭の
Kさんは14日に貝堀りに行って調達しよりましたもんね・・

話はちょこっとそれますが昔は今のごと山笠に権威付けしとらんけん
期間中でもパリパリ胡瓜は食うし、直会やら堅苦しいごと言わんで
「一杯飲み」て言いよったごたります(^^♪
今のごと国無形文化財やらユネスコ登録やら要らんこってす・・
神事〃て言うばってんが昔はおおらかな博多の町の年中行事やったとです。
いつから山が始まったやらどげんして始まったかやらは
庶民はなんも考えとりません・・・・・
ただただその時期になったら祭りば楽しむだけですったぃ
難しかことは考えんで年中行事の一環として町の生活ば確立してきただけ・・
その起源やらは昔から残った文献で学者さんに任せとったら良かってす。
生じっか文化財やら権威づけるけん歴史やら起源ば作り上げないかんもんね。
ばってんが良うそれらしゅう作り上げたとは博多んもんの昔からの
権力に対するおおらかな知恵ておいしゃん思います。
こげなこと書いておいしゃん粛清されんか心配・・・・・
とにかく祭りば存続させたいって知恵は昔からの博多んもんの凄さです。
日本中の祭りはどっこも起源やらわからんでしょう?
山笠も松囃子も・・それで良かやん?
歴史学者にその辺は任せとかな・・・・・
わかったところで日本の教科書が代わるわけやないもんね・・・

おいしゃんが子供の頃はまだ明確に水法被の前立てには
「妙子」「妙若」「妙中」の表記やったです。
今は全部「古ノ一(古くは古組)」の表記です。
今もおいしゃんの手元には「古組」のぼろぼろの水法被の有りますが
これは昭和41年の町会町名改正時の法被でそれ以前は
「妙子」「妙若」「妙中」の法被やったです。
新しか法被の無かけん若い時から「妙中」の法被着とりましたやね(^^♪
若っか頃は粋がって追山ん時だけは「妙」の法被着たもんでした。
役付きになったらそげなわけにもいきませんばってんが
もうそろそろ着て行ったっちゃ誰からも咎められんめぇけん
今年あたり着て行こうかいな?(^^♪
けど法被ぼろぼろやもんね・・

昔は基本的に「若手」の中から「赤手拭」が選出され
「赤手拭」も若手の一員って位置づけです。赤手拭筆頭が若手頭ば兼ねる町
そうでなく赤手拭は若手の中での役員って言う位置づけの町。
今の古ノ一の構成町の旧妙楽寺は後者のほうで良う親父は
「赤手拭筆頭やらなんや?ヤクザやあるまいし」て言いよったもんでした。
現在の大黒流では次期取締候補ば赤手拭筆頭って位置づけることが多かですが
これは現在の山笠の時期だけの役職に由来するもんになるけんです。
昔は松囃子・山笠は第一ですばってんがそれ以外年中行事でそれぞれの
役割があったとですけんね・・・
お江戸の庶民の「火消l組」やらと比較して
博多も自治で町ば守る組織が相通じてあったとでしょうね・・!

引き続き次回も文献参照しながら「若手組」について書いて行こうて思います!!

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コメント一覧

konoichi
竹若番さん…さもありなんですね・・・
うちの新町も同じ境遇でした・・・・
竹若番
我が旧竹若町は町会町名改正まで、おおよそ5年で回ってくる当番町を一回飛ばして、10年ごと当番町をつとめていました。

その為、旧町の法被にこだわりがあり、振興会役員になられた大先輩は、旧町水法被のまま太鼓台に上がられていました。
先日、県立図書館で大黒流さんの少し古い写真集を拝見していたら、櫛田入りの写真に太鼓台にいらっしゃる旧町の水法被の大先輩を見つけて懐かしかったです。
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