市営桟橋脇の遊歩道の一本が
まだこの一本だけで浜宮んとこの公園の桜はまだまだ硬いつぼみです。
春といえばこの花も
沈丁花・・・
やっと春が来ました(^^♪
さて博多祇園山笠振興会が昭和50年に発刊した「博多山笠記録」ば読み返しよります。
ここにむかしの博多の「博多津年令階梯制」が載っており
以下のごとくなっとります。
室町時代から博多津中(現在旧博多部て言われるところ)は松囃子と山笠の
二大行事がありました。(紀元は別として)
これに向け博多町民は一丸となって体制づくりを行い
子供組の頃からこの環境の中で町の一員として流の一員として
育っていきます。
年令階梯制の中でそれぞれの役割や行事に携わってきたとです。
例えば【子供組】
1)男子が生まれたら町内の帳面につける。
早く入ったものが、序列になる(大黒流妙楽寺前町他)
2)小学校に上がるころから子供組に入る。
3)集団で町内対抗で喧嘩をした。(博多五丁その他)
この喧嘩は単なる喧嘩か行事ごとかは不明です(^^♪
中略・・・・・・・・・・・・
そしてこげな行事ごとが・・・
6)玉せせり
て言う段のあるとです。玉せせりて言うたら筥崎さんの祭りですもんね。
むかしは博多でもそれも子供たちの手によって行われよったとですね。
昔やった、鏡天神に玉がある(川端町)
町内各戸に玉を持ち込み「おみき」をかけてもらい「おさんせん(お賽銭?)」を
いただいた(西町)
一月三日にやった(上・中市小路)
中奥堂・下金屋町は玉が戦災で焼け失せた・・云々
子供の行事でそれも各町独自でやりよったごたります。
親玉と小玉があった(博多五丁)雌雄の玉があった(蔵所町)
時期も正月で褌一貫でやるところも筥崎の玉せせりと一緒ですもんね。
ばってんが晒の褌一貫で、三、四歳~十一、二歳ぐらいまで・・・
若手が一人二人世話役でついたて言うけん、やっぱり子供の行事ですもんね。
おいしゃん思うに子供のころから遊び半分で神事事の体験させて
町内の一員としての結束ば培いよったっちゃないかいなってね・・
そいけんお賽銭貰うたりお菓子貰うたり、なんか食わしてもろうたり
いわば博多の「ハロウイン」ですね。
各家々に玉せせって持っていき何かしらご祝儀貰うあたりは・・
他にも現在都会になった博多では行われよらん
「ほうけんぎょう(どんど焼き)」も子供の行事で
各戸からしめ縄集めて餅も焼いて楽しんだてあります。
六年生くらいのが大将になって、お〆縄(おしめ)を焼いた。
お鏡餅を貰って焼いて食べた。
相撲を取ったり話をしたりして遊んだ(蔵本町)云々
今、博多で復活の兆しのある「千灯明」も子供の楽しみの一つ。
千灯明の唄をうたった。櫛田神社に上げた。
献灯箱・組立台・提灯があった。せんぺいやお菓子があった。
麹屋番や上対馬小路とよく喧嘩した(博多五町)
濡衣さまの千灯明には喧嘩した(官内町)
この千灯明も各町内別にやりよったみたいです。
そいけん町内結束の強うて子供組でもしょっちゅう他町との
喧嘩の記述がみられます。
山笠で競い合うともこのころから培われた仲間意識からですね(^^♪
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