千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

遅ればせながら・・終戦記念日

8月15日はお盆やばってんが我日本国は「終戦記念日」でもあります。

今もウクライナでは戦争が続いとります(>_<)

相変わらずロシアって国はバカチン国家(民族性かいな?)ですね。

先の大戦でも不可侵条約締結しとったとぃ日本が降伏したとたん攻めてきました。

不思議なことはなんで人間は領土ば広げたがる?ってこと(>_<)

ロシアに限らず今の中共も・・・・

あんだけ広い土地持っとっちゃけんもう良かろうとこぃ・・

今の日本人は平和ボケで敗戦で腑抜けになって情けないです(>_<)

明治維新以降、列強に立ち向かい先人はニッポンば守ってきました。

そいけん他のアジアの国のごと植民地にならんで済んだとですよ・・・・・

ニッポンは秀吉の唐入りは例外として近代の歴史において

他国ば侵略したことはいっぺんもありません!

朝鮮人やら中共がいろいろ言うばってんがあくまで手ば差し伸べて来たっちゃけんね。

朝鮮においてはあっちから言うて来たっちゃけんね・・・

ニッポンの国家予算ば使うてインフラ整備して教育ば施してきたにもかかわらず

未だに1000年恨みは続くてどの口が言いよるとかいな!?

あいつら嘘つき民族です、自分の国の歴史も嘘ばっかりですやん・・

もう付き合わんほうが・・なんで我が国の周りはこげんわけわからん民族ばっかり?

すぐちかいとぃからくさ。

それ考えたら日本文化は大陸の近隣諸国からの文化やのうてルーツはユダヤから

って説の方が真実味があるって思いません!

埴輪にも残っとるし・・・言葉も似たもんがあるらしいやん・・

内また膏薬でどっちつかず蒙古の時は元軍の手先になってニッポンば

攻めて来たとばもう忘れとるか?

それにいっぺんでちゃ日本が文句言うたかい?

大東亜戦争でアジア民族の解放ば目的に列強に孤軍立ち向かった日本は孤軍敗戦。

これば期にアジアの国々は独立ばかちとったっちゃけど肝心の日本は

見かけは独立国家やばってんがいまや米国の傀儡国家ですもん(>_<)

このお話は難しかけん今回はふれんどきます。

言いたかとは絶対戦争はしたらいかんってこと・・ていうて

国防問題は別です。他国ば侵略する戦争は現国際法に定められとるごと

やったらいかんごとなっとります。

ばってんが未だにこれば守らんばかちん国家がおりますけん

最低限の国防軍備はもっとかないかんて言うとがおいしゃんの考えです。

日米安保条約やら一切あてにできんですけんね、米国やもん!

条約やらすぐに反故にされるとは世界の常識・・・・・・

ソ連との不可侵条約が良か例でっしょうが。

戦争ちゃなんでもありですけんね・・

 

おいしゃん親父たちに何回も何回も戦争の話ば聞いて育ちました・・・・・

映画「兵隊やくざ」のごと軍隊の中での理不尽ないじめの話やらも

軍隊では調子よくふるまわんと生き残れんって・・・・

当時の軍隊は出身地別に隊に配属されとったらしいです。

親父はおんなじ隊におった対馬小路の山田さん(もと対馬小路町総代)は

正直もんやったけん大概いじめられよったて言いよりました(>_<)

親父は終戦間際に釜山に配属されとります。

6月19日の米国による「福岡大空襲」は釜山日報で知ったそうです。

この博多の地も米軍の爆撃にあうて焼け野が原になったとですよ!

我都合の良かごとばっかり言いよるアメリカはそれは残虐なことしてきました。

日本が戦争せないかんごと仕向けたとは言わずもがなアメリカですよ!

爆弾や無うて焼夷弾です。その前に日本の燃えやすい木造家屋に

重油ば撒いたのちです。そら燃えるくさ!

藤崎の疎開先では婆ちゃんは屋根の上に登ってほうきで火ば消しよったげな

藤崎はまだ良い方で空襲の真っただ中の古門戸では梅月堂の大将(元町総代)の

親父さんも屋根に上っておんなじことしよったらしいです。

(※うちは昭和7年から妙楽寺新町(現古門戸町)で人形屋しよりました)

うちの爺さんが「早ょ逃げな危ないですバイ」て言うても・・・・・・

結局、あとでわかったら亡くなったて・・・・

うちの爺さんはたまたま奈良屋小学校の方に逃げんで川端方面に走ったらしい。

有名な十五銀行の悲劇にはたまたま入られんで助かっとります。

おばさんがダメと思いよったら三日後に藤崎の疎開先に戻ってきたらしいです。

その二か月後の八月十五日に親父は釜山で終戦ば迎えます。

親父「車に乗っとったら朝鮮人が大勢で怒涛のごと武器持って追いかけてくるったい」

「機関銃打ちながら逃げてきたったぃ」

おいしゃん「え!人殺したと((+_+))?」

親父いっとき間おいて

「撃たなこっちが殺されるもん」

戦争っちゃそげなもんです、通常の生活じゃ人殺しは重罪やばってんが

戦時下じゃ当たり前のことですけんね。

なんが正義か?より我命守る方が大事。

終戦後、治安維持の目的で釜山北部に配置命令がでたばってんが・・・・

将校たちは民間人より先に船で逃げ帰ったて聞き、親父は慌てて引き返したそうです。

「あのまんま行っとったらシベリア送りになっとった・・・・」

戦争って人間性ば狂わせるとですね。

 

たまたま無事親父はその年の暮れ博多港に帰参できたそうです。

叔母(親父の妹)は親父が軍足いっぱいに詰めた砂糖ば見て

それは嬉しかったって聞き及んどります。

原爆・空襲で当時は日本全土が焼き尽くされたばってんが先人たちは

どっこい生きながらえて世界ば凌駕する国ば作り上げました・・・・

今や我が国の文化ば楽しむごと世界中の国から日本ば訪れてます。

ニッポン食・文化・アニメ(このブームはおいしゃんあんまり好きや無かばってんが)

いっぺん無うなったこの国の文化ば続けていかなこて!

いい加減、この辺で我が国もそろそろ独立国家になりましょうや!

米国の犬に成り下がった自民党の世はもう大概捨てて・・・

明治維新のごと令和維新ばおいしゃん期待しとります!!

 

戦後70年過ぎておいしゃんこのごろこげん思いよりますやね

 

チャンチャン


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