千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

お江戸小説に学ぶ・・からの・・

お江戸小説ば読みよったら普段おいしゃんの世代では
聞きなれた言葉が良う出てきますばってんが
その意味は正確に知らんことのありますもんね・・

たとえば「しもたや」
よう聞く言葉やばってんが意味は知らんもんね・・
これはもともと商売しよったお店が倒産して
仕舞えた店・・で「しもたや」らしいです。へ~ですね・・

「水茶屋(みづぢゃや)」博多でも旧町名で千代町の入り口んとこにありますが
博多では「みずちゃや」て言いますね。
昔は「けん番」が連ねとったとこです・・・
茶屋ていうとはけん番さん、芸者さんば抱えとってお座敷に呼ばれたら派遣する
派遣屋さんですね・・
それに対してお江戸の水茶屋はお茶やら菓子・甘酒ば出す茶店ばってんが
だんだん店員さんに美人さんば揃えてお客ば呼び込むごとなり
女の子目当てに客が集まりそれにつけてお茶代も高く設定されっとったらしい・・
酒の酌もするとこもあったらしく今でいうたら「ガールズバー」
今で言う中州の姉ちゃんば同伴誘うとに似てますね・・
金使うばっかり・・・

それに対してズバリいたすとが「飯盛女」
江戸時代はお上(幕府)が認めたとは吉原だけです。
公認やったとですね・・・・・・
それに対して非公認の場所があちこちにありました・・・・
旅籠の店員(仲居さん)がご飯の給仕しながら話がつけば
そのまんまいたす・・飯盛女ですね・・・・
それがだんだんそれ自体が目的となって「岡場所」て言われるごとなります。

近代まで博多でもそれがありました。
公認の場所は「赤線」て呼ばれ昔は「柳町」ていうところ
石堂川(御笠川)べりんとこです・・・・
博多はすべての町が古くかは七流に属し人口が増えるにつれ流も
増えてきました。
ばってんがこの柳町と寺中町だけは流に属しておりませんでした・・
それは「非日常(暮らし)外」の場所やけんです・・・・
寺中町は聖福寺の境内の中にあった町で芸人(役者)が住んどった街です。
当時芝居は死と密接に係り非日常の扱いやったとです。

「柳町」は後に春吉に移転されます・・・・・
今も春吉はその面影がわずかに残る街です。

一方、青線(非公認)の岡場所は今の博多部の真ん中にありました。
今の古門戸二区から海側です。
昔、息浜(おきはま)て言われよったとこです・・・
博多は港町の一面も持っとりましたけん
おいしゃんが子供の頃まではパチンコ屋もあり
キャバレーの跡地もあり須崎には連れ込み宿ばっか・・・・・
その名残が今も須崎に2軒、ホテルの有ります。
すぐ横には競艇場・・・・
とっても良い環境で育ってきたおいしゃんですったぃ・・・・

親父も子供の頃は天神方面から帰ってくるときは
浜側の電車通り避けて帰ってくるごと言われよったそうです・・
青線通らんごと(^^♪

昨日も書いたごと男はそればっか・・・・
ってK国が言いよる強制慰安婦問題は因縁の権化です。
日本の軍属は日本国民(当時の日本国民やった朝鮮人含め)ば
強制的に慰安婦に動員した事実はありません・・・
軍艦島の朝鮮人強制労働も嘘です・・・
すべて日本人とみなし正当な賃金払って雇うとります。
慰安婦もすべて私娼で希望した者です。
強制連行やらなんがもんかい!
南京虐殺も出鱈目!
資料紐解いたら当時の南京の食糧事情からして
人は何十万人も減っとらんとですもん・・・・

あ~またまた話のそれましたやん!!
今日は何書きたかったか忘れてしもたやんかいさ・・

「お江戸小説に学ぶ・・・」
いろんなことからいろんなことの見えてきます・・・・

とりあえずそろそろニッポンば変えましょうや・・・・
隣国の言いなりにならんで主張せなごて
いつまでだっちゃ敗戦国扱いはまっぴらです・・
大日本帝国はお前らC国、K国、NK国とは
戦争しとらんっちゃけんね・・・・
ロシアも含めいちゃもん国家に回り囲まれたニッポン
そろそろ反撃セナいかんですバイ!
チャンチャン

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