千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

ああ・・なつかしの駄菓子屋さんとおもちゃ屋さん

テレビで「食わず嫌い」ば見よったら
ざらざらのメロン食べて育ったか?
つるつるのメロン食べて育ったか?て話が出よりました。

もちろん私ゃつるつる派やったです。
「メロン」て言葉さぇ知らんやったです。
もっぱら「瓜」

スイカが大好きでいっぺんテレビのアメリカ番組の「ちびっこ大将」のごと
頭からスイカ被って食いたいと思いよりました。
なしてアメリカのスイカは長細いとかいな?ても思いよりましたね。
最近はそこいらのスーパーでも見かけます。

それと中身が黄色いスイカ
味は大して変らんばって、小ぶりで高級感のありました
せいぜいこれくらいが高級な果物です。
ばってんそれはだいぶ後の話・・・

昔はリヤカーで果物ば売りに来よんしゃったです。
夏は「マクワ瓜」て言う黄色い瓜のありました。
そういえば最近果物屋でも瓜て見かけんですね。

今でさぇメロン(網目の入った)ば食べますバッテン・・

当時覚えとうとがリヤカーの叔母ちゃんの瓜が
1個60円やったです。

その頃の小遣い銭が一日10円もらえれば良い方・・
これ買うなら1週間分の小遣いバイねと
子供心に思い、貨幣価値ば実感したとはこの頃です。

当時、須崎やら神屋町あたりに「紙芝居」が来よりました。
5円でジャムやらニッケ、おぼろ昆布ば買うたら
紙芝居ば見せてくれます。
「買うとらんもんは後ろの方で・・」て
銭無いときは寂しいもんでした。

メニュー?にはスルメて言うともありましたが
とても手の出る値段やありません。
紙芝居は当然「黄金バット」
どくろの絵が鮮明にまだ脳裏に焼きつい取ります。

当時「駄菓子屋さん」があちこちにありました。
須崎にカドヤさんて言う店があり、
ニッケ紙やらつるしてあって、子供心ばそそるメニューの
オンパレード。
ニッケ紙やら紙にニッケがしみこませてあって
ガムのごと、くちゃくちゃ噛んで味ののうなったらふてます。
舌がびりびりしびれます
奈良屋小学校脇の「松尾文具店」でも
ちょっとしたお菓子が売りよって、
当時「プープー」ていう顆粒状の味の付いたとが
ビニルの入れ物に入っとって、プカプカ押したら
口の中にそれば吹き付けて食べるお菓子のありました。

松尾文具さんは二回で「書道教室」やら「絵画教室」ば
しよんしゃったです。
半紙ば下に下りて買うとですばってん
一枚単位で買うとです。
「下半紙3枚と上半紙1枚ください」て言うて

今考えたらすごい小商いやねぇと思います。
消しゴム1個やらカミソリ1個
バッテン文房具屋さんていうとは
今でも商品ラインナップは興味ばそそられます。

おんなし須崎でも「内田焼き印」さんの並びにあった
駄菓子屋さんは焼き芋(壷焼き)やら、貝の中に飴みたいなとが
入ったお菓子、ねぶりくじのありました。
ねぶりくじはいっつも「スカ」の甘納豆・・・
貝のお菓子は食べたら貝の接合部ばギチでこすって
穴あけて笛にして遊びよりました。

行町の角には、「熊本屋」て言う玩具屋さんがあり
プラモデルやらこまやら売りよりました。
独楽と芯は別売りで、芯は自分でギチで研いで造ります。
研ぎ方の悪かったらガツガツガツ!
独楽が安定して回りません。
これば独楽が「ガル」て言いよりました。
この熊本屋さんでは
二回ばかり万引きでつかまっとりますハイ!


このころ築港の港にできたパラダイス
「博多パラダイス」ていう一大レジャー施設のできました。
これも須崎のO部トモハルにたぶらかされて
以前にも書いたバッテン
金網の破れから進入したとたん襟首掴まれて
捕まっとります
すノ一の「エイジ」とは一緒によう万引きしよりました。
自慢したらいけまっせん・・・

エイジとは当時良かコンビでした。

当時廃品ば集めてバタ屋(廃品回収業)に売ってさるく
リヤカーのオイしゃんたちのいっぱいおって、
エイジと二人でそのリヤカーば押して手伝うて
小遣い銭貰いよりました。
それでも5円、10円の世界。
玩具屋のおもちゃには手の出ません。
て言うて万引きはしたらいけまっせんとやバッテン・・

後は、須崎の玩具卸問屋「セイハン」さんやら
綱場町の「遠藤玩具」さん
山笠の子供のお土産でもお世話になっとります。

大人になってみたら簡単に手に入る
くじのセットも子供の頃は憧れやったものばっか・・

遠藤さんに息子連れて買い物行った時
遠藤さんが「これ持っていきやい」と息子に
ポンとくじの束ばくれたときの息子の
驚きと、(@_@)、嬉々とした顔・・・
それだけ玩具屋さん、駄菓子屋さんは夢のあります。

ああ懐かしや・・・・・

大人になって金が使えるごとなって
線香花火ば束で買うて一時に火ばつけました

ただ煙でむせただけ

足らんぐらいがちょうど良か・・・・

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コメント一覧

ちどりあし
松尾さんまだ頑張っておられますよ
ひろくん
文具屋さん
その博多小(旧:奈良屋小)脇の松尾文具さん、私の母方の親戚です。

いまやってる方が配達用のバイクに乗れんごたぁなったら店をたたむつもりだとか言ってました。

最近はコンビニや\100均ショップでも文房具類を格安で扱うようになり、普通の文具屋さんは厳しいみたいですね。
うちの近所の小学校や中学校近くにあった文具屋さんんも閉店してしまいました;;
千鳥足
思い出した
綱場のプラモデル屋さんは
「マルエス」さんやったと思います。
千鳥足
松尾文具さんには美味しい臭いのする消しゴムは
置いてあるばってん、お菓子は置いてなかったです。
プープーは流行りもんでそれだけレジの横に
置いてあった甘味料です。
「渡辺のジュースの素」の類で小さな一升瓶のごたあ
ビニルの容器に入っとりました。

綱場のプラモデル屋さん
ありました。つい最近(ここ10年前ぐらい)までありました。
問屋さんやったです。後にはセイハンみたいに
小売もしよらっしゃったです。

国際センターに入り込むて言うとは
大技ですね。

私は「博多タワー」に夜中に登ったことはありますが・・
元古ノ2住民
 自分は昭和50年あたりに奈良屋小学校通ってたけど、
須崎のカドヤにはよく通ってました。同じ店ですよね。
また自分の頃の松尾文具店や半田文具店ではお菓子は
なかった気がします。ただ消しゴムとかオモチャのようなものは売ってた気がする。
 あと、綱場に店の名前は忘れましたがプラモデルを売る
店があってガンダムのプラモデルを買った記憶があります。
 築港に住んでた友達と国際センターに忍び込んで
相撲を観戦したのを思い出しました
 
千鳥足
いい思い出
本当にほんわかした時代でした。
こどもの遊び場も道端やったです。
きたむー
いい思い出ばかりですね
http://blog.goo.ne.jp/nabaho7373
私の子供の頃にも、学校の近くには駄菓子屋と文房具屋がセットになった小さな小さなお店がありました。
ああいう店って、決して本当の名前で呼ばれることなく、
昔々についた、屋号と言うか渾名みたいなので呼ばれていたような気がします。
なんだか昔の博多の一面を見たような気がして、ほんわかしました。
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