カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

コリアン世界の旅

2009-02-01 18:48:44 | 本日の抜粋
      
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パチンコ業界は、警察の咳払いひとつで、すぐに縮み上がると言われてきた。そもそも、本来なら違法であるはずの換金行為を、警察に「おめこぼし」(元パチンコ店経営者のキムの話)してもらってるという負い目がある。これに許認可の問題が加わる。(中略)
 パチンコ業界は生殺与奪の権を、すっかり警察に握られているのである。この業界の監督官庁は一見通産省のようだが、そうではなく、警察庁なのである。しかも、麻薬や、銃器などを取り締まる生活安全局の管轄下に置かれているのだから、パチンコ業界がどう位置づけられているか、如実にわかるというものだ。(中略)
 とにかく警察には当たらず障らず、言われたとおりに「業界健全化」のお題目だけを唱えてればいい、というようなところが、この業界にはある。だが、八〇年代末に持ち上がったプリペイド・カード導入計画のときだけは、公然と反旗を翻す声があがった。(中略)警察権力と、カード・ビジネスに参入しようとしている大企業とが、パチンコ産業の乗っ取りを図っているというのが「絶対反対」の理由で、その懸念はやがて現実のものとなるのだが、このときはほとんど世論の支持を得られなかった。どうせプリペード・カードを入れたら脱税ができなるなるから、反対しているのだろう。そんな世間の声に真っ向から反論できない弱みが、ここまで見てきたように、業界側にもあったのである。(中略)
 このプリペード・カード導入に、全遊協と朝鮮総連が組織を挙げて反対運動を繰り広げていたとき、降って湧いたように起きたのが、いわゆる「パチンコ疑惑」だった。(中略)
 プリペード・カード導入を促すときも、警察は「業界健全化」を錦の御旗に掲げた。その趣旨は、脱税の一掃と暴力団の排除である。パチンコ業界の経理が明瞭になれば、暴力団のつけこむ隙もなくなるだろうという理屈だったが、まったくそうはならなかった。絶対不可能と言われていたカードの変造が実は簡単にでき、こうした変造や偽造によって96年三月期決算までに生じた被害額は六百三十億円にのぼると、カード会社みずからが公表したのである。実際には一千億近くのカネが暴力団や中国人グループなどに流れ込んだとみられ、暴力団の資金源を断つという計s脱長の当初の狙いは完全に裏目に出た。(中略)
 警察の不手際は、それだけではない。プリペイド・カードは売り上げをガラス張りにするので、当初パチンコ店オーナーに敬遠され、九十年の導入当初はなかなか広まらなかった。(中略)そこで警察庁は、CR機(プリペード・カード専用のカード・リーダー機)に客を惹きつけるべく、CR機のギャンブル性を格段に高め、「おもしろい台」をできるだけ増やすように、パチンコ店やパチンコ台の製造メーカーに働きかけた。この作戦は功を奏した。(中略)
 いわば〝禁じて手〟を警察は使ったのだが、代償はあまりにも大きかった。CR機は、子供を車中で熱射病死させるパチンコ中毒の母親を生み、プリペード・カードは、暴力団の力を削ぐどころか、暴対法で青色吐息だった組織に新たな金脈を提供する結果となった。
 これが、純粋に「業界健全化」を推し進めようとしたあげくの失策なら、警察ばかりを批判するのは酷かもしれない。だが、警察庁がNTTや三菱商事、住友商事といった大企業と組んで設立したカード会社は、警察庁の幹部クラスが大量に〝天下り〟して高額所得を手にする受け皿になってきた。

野村 進 『コリアン世界の旅』より 講談社+α文庫

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昔、パチンコ屋さんには随分とお世話になった。

40年も昔の話だが、その頃のパチンコは牧歌的だった。

皿に乗ったパチンコ玉を十数ヶすくい、手の平に載せ指でパチンコ台に落としていく。それなりの技量が問われた。
パチンコ玉の重みでパチンコ台の傾きが変化するので、玉の出方は影響を受ける。
その頃はパチンコ台の後ろに空間があって、そこに店員がいて定期的にパチンコ玉をパチンコ台に乗せていた。どのタイミングで玉の上乗せを頼むか?結構考えたものである。
換金も正式には許されてなく、景品交換所へ足を運ぶときは、ちょっとした犯罪行為の快感もあった。

仙台での貧乏学生時代、金がなくなると、友人たち数人とパチンコ屋さんに行くのが常だった。誰かが全員の安い飯代ぐらいは稼いだものだ。百円、二百円の投資が無駄になった時でもへこたれなかった。店に落ちているパチンコ玉を拾って、それを元手に何とかなったもんである。玉拾いの行為が恥ずかしげもなく出来た時代でもあった。

結構、パチンコ好きだったと認める徳さんだが、いつの頃からか、パチンコから遠ざかってしまった。
この本を読んで、その時期がCR機導入の時期だったのを知った。
賭博性だけが目立つようになったからだ。やればやるほど心が荒むような気がしたのだ。

パチンコ業界への警察の介入は話には聞いていた。取り締まる側が取り締まりの対象を食い物にして正業化しちまうなんて。役人の知恵は無限だね。
賭博の歴史も長いけど、役人の利権漁りも長いんだね。
抜粋は長くなったけど、これを抜粋して、徳さんの心は幾分かは晴れた。