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J.F.ケネディ暗殺から40年―。アメリカのメディアは「ケネディ神話」を語ることを止めないが、そのケネディがラオスで何をしたのかを問うメディアはない。無論、アメリカ市民の中にもそんなことを問い直す人などいない。彼らは思い出したくない過去にはかたくたに眼をそむけるのだ。ケネディは「ラオスは大国を魅了する国ではない」と言った。アメリカ人には、ラオスに対する興味も知識もない。アメリカ人にとってはラオスなど、せいぜい戦争アクション映画の背景でしかない。ベトナム戦争当時の不発弾で戦争終結から30年たった現在でも年間100人以上の人が死んでいることなど、アメリカでは誰も知ろうとしない。かつてアメリカに反共戦士に仕立て上げられて戦ったモン特殊部隊兵士とその家族30万人が、国を追われ、アメリカの片田舎で必死に英語を学んでいることなど、誰も興味を示さない。ラオスは平気の実験場であり、モンの人たちはチェスのコマでしかなかったのだ。
小国が大国に蹂躙されるのは当然のことなのだろうか?小さな国の小さな村に生まれた人の命は大きな国の大きな町に生まれた人の命より価値が低いのだろうか?
べトマム戦争当時人口300万だったラオスに390万トンの爆弾が投下された。ひとりあたり1.3トンである。北ベトナムから南ベトナムに兵員と物資を輸送するためのホーチミン・ルートのほとんどがラオスに作られていたいたからだ。ラオスにベトナム軍はいないと革命の英雄ボー・グエン・ザップは公言そてきた。しかし、それは嘘だった。
悲しいのは、アメリカに誇らしい勝利をおさめたベトナム軍が戦争終結後もモンを目の敵にしたことだ。1998年5月25日、ローンチェン付近でベトナムの国防次官以下26名を乗せたYK-40機が墜落する事件が起きた。彼らはモン掃討作戦を視察中だったのである。
2004年の今も、ベトナム軍のモン掃討作戦は続いている。ロシア、北朝鮮の新兵器が投入されだした。これはコミュニズムからの民族浄化である。
いつも大国のエゴのしわ寄せは小さなもの、弱いものへと順番に回ってくる。彼らには悲しみを伝える術がない。
竹内正右 『ラオスは戦場だった』より めこん
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一風、変わった写真集である。と最初に印象付けられた。
抜粋部は作者のあとがきから。
この手の写真集なら、普通は作者の感情移入の姿が伝わってくるのが普通だ。
なのに、ここにおさめられた何十枚の写真は、妙に淡々としている。まるで管制下のの報道のようである。戦場を扱っているのに、それに付き物の残虐な場面は皆無だ。淡々と新聞に載せれる範囲の時事的写真を並べている。
これは何を語っているのか?
もしかしたら、それを見る我々の想像力を問うてるのかも知れない。
と思って、ようやく腑に落ちた。
さりげない光景の裏側を君たちが想像しなさい、と。
5年前に出版された写真集だが、30年前の出来事を扱っている。
そして30年後の現在、世界の構造は寸分の狂いなく、イラク、イラン、パレスチナ、スーダン、エチオピア、、、、、、、、、、、、、、、日本、を呪縛している。