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こころが語る糖尿病

2010-10-10 23:44:15 | diabetes
今日は京都ヤングの会公開スクールに参加しました。

京都の公開スクールは京都ヤングの会の会員さんが中心のため、こじんまりとした集まりですが、私は大石先生とは2002年から親交があるので、ときどきこうして参加させていただいています。

先生が最初のご挨拶をされたときに、「糖尿病と心理」についてお話しできる先生がなかなかおられないということを言われました。

そうですね…それはとても大切なことと解っていながら、内科領域ではなかなかアプローチすることができず、おきざりにされている分野ともいえるかもしれません。



今日の講師の先生は京都大学大学院の教授で、臨床心理士でもある皆藤章先生という方でした。

先生はユング心理学の第一人者で元文化庁長官も務められたかの有名な河合隼雄先生が恩師と言われていました。

約90分の長い講演でしたが、丁寧に内容を話してくださったのでとても解りやすく、共感して聞くことができました。

天理よろづの石井均先生と知り合って、糖尿病と心理についても研究をされているとのことで、大学には「糖尿病心理臨床研究会」という会もあるのだそうです。

テーマは4つ

1)臨床心理が考えるこころ

2)こころと年齢発達の関連について

3)こころと社会(時代)との関連について

4)糖尿病を抱えて生きるということ

詳細は省きますが、4)に関連して、

人間は常に平穏を求め、そこに「異質性」の侵入があるとそれを排除して平穏を取り戻そうとするのだそうです。

「糖尿病」は「異質性」であると…これがいわゆる「受け入れ」を指すのではないでしょうか。

しかし、その「異質性」が生じることは決して悪いことではなく、その「異質性」が、またその「異質性」を抱えて生きることで、私たちには創造性の世界が開かれるとのことでした。

「異質性」を排除しないこと、排除できないものを抱えたとき…それはこころが新たに創造される契機となるとおっしゃっていました。

多くの患者さんが、糖尿病になってイヤなこともあった。

傷つくこともあった。

けれども、いろんな人に出会えた。

人生をきちんと見つめることができるようになった。

自分の身体や健康について考えるようになった。

人に感謝する気持ちが生まれた。

などと言われることは、まさしくこのことをおっしゃっているのかなと感じました。

また、「異質性」と出会うとき…私たちが糖尿病を告げられるとき、最初の言葉、最初の告知はとても大切だとおっしゃっていました。

これはまさしく「不治の病」と告げられるか、「注射さえ打てば、何でもできないことはない」と告げられるか、よく出る話題です。

なぜ私は糖尿病になったのだろう。

この「異質性」を受容し、理解し、いかに生きるか。

糖尿病も、糖尿病とともに歩む人生についても、その概念を説明することはとても難しいと思います。

それらを言葉にして説明することはどれだけ患者のこころに届くのでしょう。

そういう意味では医師の役割・使命はとても重要なのですね。

講演終了後、ご挨拶をさせていただきました。

「医学がどれだけ進んでも、最後はこころの問題に還る」

これは私がいつも思っていることで、NOTESにも書いたことです。

そう伝えて先生にNOTESを差し上げました。

名刺をいただいたので、また感想をお伝えしたいと思います。

是非もっと多くの方に聞いていただきたかった内容でした。



本当は今、京都では見たい美術展が3つも開催されているのですが、今日は朝から体調があまりよくなかったため、公開スクールだけ参加して帰ってきました。

連休の観光シーズンだったのですが、行きも帰りも座れてよかったー!

明日はゆっくりします。






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