goo blog サービス終了のお知らせ 

岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

石井十次ゆかりの場所を訪ねる。

2008-09-27 16:29:01 | 石井十次
今日は天気がよいので、昼から旭川左岸までサイクリングをした。
石井十次の旧跡を訪ねてみようと思った。
十次についてブログで連載している時は、明治の地図と、現代の地図を
見比べながら、路地から露地を歩き、当時あったはずの建物を同定していった。
今も結構古い住宅があるが、いずれも十次が宮崎に去った後に建ったものだから、
古くて建築後100年程度だと思う。

私がよく通っていた頃から3年が経っているがその間でも新築の住宅に替っている。
目印は水路と路地。これはほとんど十次の時代から変わっていない。
そして、背景の操山は当然変わっていない。
当時、十次は宣伝のためもあって膨大な写真をとっており、それが多く残っている。
その写真には操山が背景に写ってものが多い。
それを頼りに建物の位置を同定していった。

もとは田圃ということもあって、相当広い。ひとつの村といってよいだろう。
もちろん、往時は1000名の生徒に職員が加わるわけだから、千数百人が住んでいたことになる。
大きな村である。

この村が、十次の宮崎行きとともに忽然と消えた。
それから、この土地はどうなったのか、興味はあるが本筋から離れるのでここまで。

今日は、まず写真を写すために、岡山博愛会病院前の石井十次像を見て、
十次が孤児院をはじめた三友寺から、岡山孤児院の敷地跡を巡った。

残念なことに十次ゆかりの案内板などは皆無である。
病院前の石井十次像だけである。

岡山市民として、これではイカンと思っている。
そのうち、ぜひ、なんとか、声をかけて、やりたいものだ。

写真は、岡山博愛会病院前の石井十次像

最新の画像もっと見る