
斎藤知事を支えられなかったといって辞職した片山元副知事。
昨年の7月12日のことだった。
「一緒にやめよう」と言った相手の斎藤知事は失職後に知事に打って出て再選を果たした。
当選が決まった数日後から、その選挙活動に違法性があるのではないかとの疑いが出た。
折田楓氏のノートがSNSで公開されたからである。
それ以降の展開は驚くものだった。
私たちは多くの事実を知ることになった。
翻ってみると、斎藤氏が片山氏ともに7月の時点で退職をしていたらどうだったのだろう。
元県民局長へのパワハラは解明されていたのだろうか。
同氏が命をかけて告発した内容は斎藤氏辞職と共に不問に付されたのではないだろうか。
長い月日を要したが、元県民局長の名誉は回復された。
悪事の実行者だった片山元副知事は、今どう思っているのだろうか。
自責の念はないのだろうか。
そして斎藤知事はどうするのか、この混乱の中、知事を続けるのか。
あんたも辞職なされ!
wikiに掲載されている兵庫県片山元副知事について
県幹部の告発文書問題
2024年3月、西播磨県民局長 (当時) が斎藤知事のパワハラなどの疑惑7項目を内部告発した。なお、告発文には片山に関する項目も含まれていた。
同月25日、片山は人事課長とともに同局を訪れ、局長のパソコンを押収した。
同月27日、県は局長職を解任し直後に予定されていた定年退職も停止。
5月に停職3か月の懲戒処分とした。
6月、県議会が本件における百条委員会設置に向けて議案提出を検討した際には、同議会最大会派である自由民主党県議団に対し、片山は自身の辞職と引き換えに議案を提出しないよう依頼したが拒絶された。
この時点で片山は一旦辞職を翻意した。
7月7日、元局長が自殺と見られる状況で死亡した。これを受けて同月10日、兵庫県職員労働組合は斎藤の辞職を片山に申し入れた。
翌11日、片山は斎藤に「一緒に辞職しませんか」と促したが斎藤は拒否。
翌12日、片山は兵庫県庁で記者会見を開き、県政の混乱を招いた責任をとって同月末で辞任する意向を表明。
「悔しゅうてしゃあない。一生懸命やってる知事を支えられなかった」と涙ながらに語った。(太字は岩清水)
告発文書内にあるパーティー券の販売で商工会議所などに圧力をかけたなどと指摘されていることについて、いずれも「事実ではない」と述べるなど、自身に関して指摘された内容を否定した。
お読みいただきありがとうございました。
ウクライナとガザに平和を!
兵庫県政を正常化!