1月22日付毎日新聞夕刊「論壇 早読み斜め読み」から
なかなか興味深い内容だった。
孫引きになるのを避けたいが無理ですね。
まず、宮台真二が『現代』で書いた内容:
世の共通前提のひとつだった知識人と大衆が信頼しあう構図と
その崩壊が書かれている。
そして、今の日本には社会全体とかかわり、大衆向きにものを
語れる知識人がいないという。
官僚や技術者の中にいる「専門バカ」が暴走しても、歯止めがない。
これは、「人文科学」の危機である。(なるほど、同感だ)
大学院の現状の悲惨さに触れて、博士課程修了者の就職率が5割に
過ぎないこと。
博士号をもつ「フリーター」は12000人以上になるという。
また、大学という仕掛け抜きに自らの主体性だけで社会と向き合った
知識人(小田実はその典型)も、少なくとも以前はいたが
今はいなくなったこと(残念なこと)。
柴田翔は『論座』で盟友をしのぶ。
小田は作品で<大状況を、暮らしに深く染み込んでいる姿で描き出し>た。
まさしく、宮台真二の言う知識人ではないか。
医療や福祉、司法などの専門知識を一般の人に翻訳する仲介役を、
博士号取得者の職にできないか。
「高学歴ワーキングプア」水月昭道 講談社新書より
「これが小田的な知識人の新しい姿なのかもしれない」と記事の筆者である
鈴木英生氏は結ぶ。
小田実の全仕事が、このように評価が定められるということなら、
小田実が生涯をかけてつくった「知識人像」を、新しき知識人たるべき
若い人が継承するべきだと思う。
彼の生涯を書物で追体験する試みも大いに意味があると思う。
政治家も、事業者も、労働者も、研究者も、「先人の精神の継承」なくして、
存在価値はないと思うのだが、いかがだろう。
※KYとは、安倍前首相を皮肉った「空気の読めないヤツ」の略だそうだ。
宮台真二は「周囲への同調圧力」だという。いじめに繋がる言葉だろう。
なかなか興味深い内容だった。
孫引きになるのを避けたいが無理ですね。
まず、宮台真二が『現代』で書いた内容:
世の共通前提のひとつだった知識人と大衆が信頼しあう構図と
その崩壊が書かれている。
そして、今の日本には社会全体とかかわり、大衆向きにものを
語れる知識人がいないという。
官僚や技術者の中にいる「専門バカ」が暴走しても、歯止めがない。
これは、「人文科学」の危機である。(なるほど、同感だ)
大学院の現状の悲惨さに触れて、博士課程修了者の就職率が5割に
過ぎないこと。
博士号をもつ「フリーター」は12000人以上になるという。
また、大学という仕掛け抜きに自らの主体性だけで社会と向き合った
知識人(小田実はその典型)も、少なくとも以前はいたが
今はいなくなったこと(残念なこと)。
柴田翔は『論座』で盟友をしのぶ。
小田は作品で<大状況を、暮らしに深く染み込んでいる姿で描き出し>た。
まさしく、宮台真二の言う知識人ではないか。
医療や福祉、司法などの専門知識を一般の人に翻訳する仲介役を、
博士号取得者の職にできないか。
「高学歴ワーキングプア」水月昭道 講談社新書より
「これが小田的な知識人の新しい姿なのかもしれない」と記事の筆者である
鈴木英生氏は結ぶ。
小田実の全仕事が、このように評価が定められるということなら、
小田実が生涯をかけてつくった「知識人像」を、新しき知識人たるべき
若い人が継承するべきだと思う。
彼の生涯を書物で追体験する試みも大いに意味があると思う。
政治家も、事業者も、労働者も、研究者も、「先人の精神の継承」なくして、
存在価値はないと思うのだが、いかがだろう。
※KYとは、安倍前首相を皮肉った「空気の読めないヤツ」の略だそうだ。
宮台真二は「周囲への同調圧力」だという。いじめに繋がる言葉だろう。
修士、博士とテーマを発展させて学んだ人を
世の中は捨てておくべきではないですね。
「社会福祉学」以外の分野では
モラトリアム的なオーバードクターが
かなりおられると
その分野の先生から
聞いたことがある。
日本は
(アメリカと違って)
長い歴史があるわけで
先人の知恵はたくさん蓄積されていると思います。
若い人もさることながら
しかるべき責任のある面々も
最近流行の言説を追うのではなく
じっくり構えて欲しいです。
私などは
「書を捨てよ」と
マルクス・アウレーリスウス
にいわれそうですが。
あります。
「こころの旅」の中にエリクソンの言葉が
書かれています。
「ものごとや人間の世話をしてきた人、他の人間を
生み出したり、ものや考えをつくり出し、
それに伴う勝利や失望に自らを適応させてきた人
ーそういう人においてのみ、これまでの7段階
(自我の発達理論と思われる)の実がしだいに
熟して行く。このことをいいあらわすのに
統合以上にいいことばをしらない」。
指針になることばと思っています。