岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「苦」について。

2014-04-07 06:44:28 | 社会福祉士
近所の女性と話していたら、最近体調を悪化させたとのこと。
「私は心配性」だからと話される。
医師からは、「あなたのような境遇で心配することはなにもないでしょう」と言われたという。

確かに、経済的にも恵まれている人し、家族にも恵まれている。
しかし、医師も配慮が足りないと思う(人のことは言えないけれど)。

ブッダは、この世は「苦しみに満たされている」と言ったそうだ。
この言葉に素直にはうなずけないかもしれない。
確かに楽しみもある。
ネットを覗いても、この世を楽しんでおられる言葉や写真が溢れている。
でも、それだけではないことは確かだ。
人前(ネット前)に、自らの苦しみを表すことをよしとしない人も多いだろう。

ネットを覗いて心が痛むことに、「捨てられた犬の処分期限」の告知がある。
これは「苦しみ」である。

捨てる神あれば拾う神あり。
助かることになったら、心底ホッとする。

投稿者には、現代の「社会的な原因による苦しみ」を、情報としてアップしておられる方もおられる。
マスメディアもそのようなことを報道することは多い。
人々は、身の回りだけではわからない「苦しみ」の情報をこうして知ることになる。

世界を知れば知るほど、苦しみは多くなる。
苦しみは、自分自身や家族だけのことではない。
世間の苦しみも、やはり自分自身の苦しみなのだ。

だから、「あなたは心配するようなことはないだろう」などと発言するのは医療従事者として問題だと思う。

苦しみから遠ざかろうとすることがよいのか。

いや、苦しみを見つめることが、ブッダの慈悲を知ることにつながるのではないかと思う。


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