ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

雨の朝のお祈り

2014-11-25 | 祈り
今日と明日は仕事です。

今日はずっと冷たい雨が降る一日だとか。

11月に入ってほとんど雨のない日が続いていましたので、雨降りもそんなに悪いことばかりではないのかも知れません。

ただ、先日大きな地震があった地方でもまとまった雨が降るようなので、被災された方たちに新たにつらい思いがないように…と気掛かりです。

避難所で心細そうに涙ぐんでいる男性高齢者のつらそうな表情がニュースで映っていましたが、他人事じゃないなあ…と感じました。

寒くなる季節の自然災害は、いっそう心身にもこたえることでしょう。

まだ余震が続いているようですが、どうか早く支援の手が行き渡り、少しでも安心して過ごされますよう、お祈り致します。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に仕事を終えますように。
お祈り致します。


聖の祭、俗の営み

2014-11-24 | 分かち合い
今日は仕事はお休みです。


私は、毎月一度食事会をしている友人たちと、練馬区関町にある「日本カトリック神学院」という学校に行ってきました。

ここはカトリックの司祭を養成する六年制の神学校です。
この神学校では哲学科二年、神学科四年という六年間のカリキュラムが組まれています。
東京と福岡にキャンパスがあり、哲学科の二年間と神学科の四年生は東京のキャンパスで学び、神学科の一年から三年までは福岡市のキャンパスで過ごします。
東京キャンパスでは現在25名、福岡キャンパスでは20名の神学生が学んでいるそうです。

…と、知った風を書いていますが、全ては今日頂いてきた「神学院通信」という小冊子の受け売りです。
私の十数年来の友人が長く京都でカトリックの修道をしてきたことは書いたことがありますが、彼が今年の春にこの学校の神学科四年に編入しました。
日本カトリック神学院では、毎年今の時期に「ザビエル祭」という学園祭があるのですが、今日はそれに参加してきたのでした。

11時過ぎに神学院に着くと、聖歌が聴こえてきました。
聖堂で行われているミサの聖体拝領歌のようでした。
円型のかなり広いお御堂には会衆が座り切れないほど集っていました。





上の写真はもうすぐミサが終わる…というときに中庭から撮ったものですが、ミサが終わると中からたくさんの人が出てきて、中庭が溢れんばかりになりました。
学園祭らしく、焼きそばやカレーなどの軽食やお菓子、手芸品や古着などたくさんの出店があったのですが、特に軽食の店にはたちまち長蛇の列が出来ました。

私は半ば呆然としながら「すごい人出だねえ。いつもこんなに人が来るの?」と、同行の友人たちに聞きました。
私はザビエル祭は初めてですが、友人二人は何度か訪れたことがあるからです。
「いやあ、これほど混んでるのは初めてですね…」
二人は口を揃えました。

今年は特に人が集まる何かの理由があったのでしょうか?
それとも神学校という場所が、人々の心を惹き付ける時代になってきたのか…。

私は150円を出して豚汁を一杯所望しました。
今日はちょっと肌寒かったこともあり、とてもありがたく感じました。

友人は喫茶店で働く係りだと言うので行ってみると。そこもたいそうな混雑です。
人波の合間に発見した彼も本当に忙しそうに働いていて、とうてい声を掛けられるような状況ではありませんでした。

私たちも客となってケーキセットを頼みましたが、満席で座ることができません。
はしたないとは思いましたが、ケーキセットを立食しました。
焼きりんごが載ったケーキでしたが、私のようなスイーツ音痴の舌にも、とても美味しい。
教会で作る洋菓子は美味しいものが多いなあ…と思います。

小一時間立っても店の繁盛は途切れず、友人は忙しく働いていました。
のんびりと語らう図を頭に描いていましたが、繁盛ならば良い方の予想はずれです。
私たちは彼に簡単な挨拶をして、店をでました。

中庭には聖フランシスコ・ザビエルの像がありました。
私はそこで年賀状用の写真を友人に撮ってもらいました。






神学院の最寄り駅の西武新宿線武蔵関駅に戻る途中に、吉祥寺駅行きバスの停留所がありました。
私たちは、そのバスに乗って吉祥寺まで行くことにしました。

目指すは「いせや」という老舗の焼き鳥屋です。

昼下がりから焼き鳥とお酒…というのもいかがなものかと一瞬思いましたが、聖俗合わせて人の営みですから、神様もきっとお赦しになるだろう…と考えることにしました。







夜の揺れ

2014-11-23 | ほとほと日記
今日は仕事です。


昨日の夜10時過ぎ、カタカタと部屋が揺れました。

すぐにテレビを点けてニュースを確認すると、長野県で震度6弱の地震…と報じていました。

夜の10時に震度6は怖い。

独り暮らしの方はなおさらでしょう。

本当に日本中で大きな地震は起こるのだなあ…と思います。

それはもちろん遥かに昔からの宿命で、古来日本人はそれを受け入れながら生活してきたのでしょう。

あまり生臭い政治話はしたくないのですが、そう思うと、原子力発電を国の主電源に…と考えたこと自体がそもそも無理筋だったのでしょう。

とにあれ、被災された方のご無事をお祈りします。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが実りある休日を過ごせますように。
お祈り致します。

母系の情景

2014-11-22 | 家族
今日は仕事はお休みでした。

一か月半ぶりに神田の心療内科に行きました。
このところ状態はすっかり安定していることもあり、薬の量はうんと少なくなっています。
次回の通院は約二か月後です。


私は帰りの電車で、母方の先祖の記録である小冊子『あゆみ』を読んでいました。
おとといのブログにも書きましたが、昭和56年に作成されたこの冊子を、母は何気なく私のうちに持参したのです。

それによると、私の曽祖父・I森次郎は、明治31年4月29日に郷里山形県の酒田港を出航し、5月3日に湧別港に入港、翌日入植地の遠軽に入った…とあります。

「上陸の第一夜は湧別の宿屋・寺院・民家に分宿しました。そのころ、湧別浜のは二十戸から三十戸しかありませんでしたので、一度に千人くらいの人が泊まって超満員となり、やむなくむしろを敷いてごろ寝をした者もいたそうです」と、私の叔父の一人は『あゆみ』に書いています。

しかし、その夏は長雨が続いて作物も大きな被害を受け、「その惨状は言語に絶する状態で、塩煮のフキなど野草ばかりを食し、かろうじて飢饉をまぬがれるという悲惨なものであった」という記録もあります。

「言語を絶する開拓の労苦」という表現が『あゆみ』の至る所にありますが、電気も水道も通っていない原野を、老人や幼子を引き連れ、鋤や鍬などの原始的な農具で開墾していったのですから、まさにその労苦たるや想像を絶します。

I森次郎は山形県移民団七十五戸の団長だったそうです。
わずか三代後の私のどこにその「開拓者DNA」があるものか、まことに不思議な気もするのですが…。

森次郎は、妻・エキとの間に九男二女を設けました。
そのうち、長男の森太郎を除いた10人の子供は、すべて新天地で授かっています。

その名前を見ていくと面白い。
森太郎の後は、カク(長女)、勇吉(次男)、勇(三男)、勝雄(四男)、勝(五男)、末雄(六男)と、比較的簡単な命名が続いています。
末男…という名前には「もう、このへんで終わりにしようか…」という気持ちが込められているようです。
でも、その後に男子(七男)が生まれ、その子は「七男(ナナオ)」と名付けられました。

その七男さんは昭和19年、33歳で戦争に採られ、翌年2月、フィリピンで戦死しました。
戦地からのハガキの写真も『あゆみ』には写っています。
印刷が判然としませんが、その文字は次のように読めます。

稔、惠、不二男、孝子、幸
皆、元気で遊んで居るだらうね
父さんは、毎日元気で働いてゐる
お前達は、御母さんの云ふ事をよく聞いて
今迄の様に喧嘩などしてはいけない
仲良くして心配させないで呉れ
来る時、花も散ってゐたケシの木も、小さい實を
付けてゐるだらうね
この次はお前が読める様に便りを書くからね
では又

七男さんの葬儀は昭和22年10年に行われ、葬儀後に撮った写真が『あゆみ』に載っています。
広い日本間で、小さな子供から老人まで、二十数名の家族がカメラを見て並んでいます。
このとき16歳だった母も写っているはずですが、どれが母なのか聞くのを忘れました。

また、昭和39年に撮影した「当時の畑」という写真には、小高い丘(というより山と言っていい標高)から見下ろした、広大な土地が写っています。
それは全く日本離れした情景で、まるで西部開拓地のようでした。

母は、私とは全然違うものを見ながら生まれ育ってきたのだなア…と感じました。









天上の囁き

2014-11-21 | ほとほと日記
今日は仕事です。

昨日の東京はとても寒く、午後からは本格的に冷たい雨が降りました。

そんな中、昨夜は初台にある東京オペラシティで出版講演会と演奏会に行って来ました。

ほとんど何も知らずに参加したのですが、特にダミアン原田さんと言う修道士の方の演奏が、とても素敵なものでした。

沈黙を聴く…とご本人が言われるように、天上からの囁きのように静謐だけれど、そのまま自分の体内に沁み入るような不思議な音色でした。

終演後、CD を購入してしまいました。

昨日は帰りが遅くて聴けなかったけれど、聴くのが楽しみです。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に仕事を終えますように。
お祈り致します。