ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

唱える

2020-11-18 | 信仰
今日と明日は仕事です。


昨日は休みでしたが、兄が退院後に入居を考えているホームの見学に行きました。

色々と気疲れしました。

今までの人生になかった事が今年はたくさんおきます。

これもまた勉強だなあ…と思います。

どうにも疲れたら、ベッドで抱き枕を抱いて横になりながら、主の祈りを唱えます。

コロナもあり、もう9ヶ月くらいミサにも与っていない怠け者の信徒ですが、唱える言葉があるのはありがたい…と思います。

今日一日。



水脈

2018-12-16 | 信仰
今日も仕事はお休みでした。


久しぶりに教会に行き、ミサに与って来ました。

今日は待降説第三主日でした。

洗礼者ヨハネが、自分をメシアだと思う民衆に対して、「後で私よりも優れた方が来られる。私は、その方の履き物の紐を解く値打ちもない」という有名なフレーズを語る場面が読まれました。


洗礼を受けて今年で20年になります。

私はせいぜい月に1度ミサに与るくらいの不勉強で不熱心な信者ですが、やはりミサに与ると少し心が癒されます。

それは、ミサでイエスキリストの誕生から受難、そして復活の物語に触れることが出来るからだ…と改めて感じています。


卑近な話ですが、このところ職場で不条理を感じることが多く、心が折れそうになります。

私だけでなく、高齢者介護の現場にはそういう労働者がとても多い。

それは今に始まったことではありませんが、加齢で心身が少し弱って来ている私には、よけいにそう感じるのだと思います。


メシアが理不尽に死に追い込まれ、そこから復活する新約聖書の物語は、そんな乾き弱った心には、ありがたい水脈のように感じられるのです。

明日からまたツラい仕事が待っていますが、何とか一日ずつやって行くしかありません。


ありがたいお話

2018-09-09 | 信仰
今日は仕事はお休みでした。


久しぶりに朝から蒸し暑い一日でした。

日曜の休みなので、久しぶりにミサに預かりました。


ミサが始まるぎりぎりに聖堂に入ると、今日の案内係は体格の良い年配の男性でした。

「まだ前の席が空いてるから、前に行って下さい」と、押し出されるように前に歩かされて、前から3列目に座ってしまいました。

いつもは20列近くあるうちのずっと後ろの隅に座っているのに。


席が変わると、ミサの景色も変わります。

神父さんの顔が近い。

侍者をしている子供たちの顔も近い。


私の預かる教会では、壁にプロジェクターで朗読箇所や聖歌の歌詞が逐一映されます。

ノートパソコンでそれを操作している様子も見ることができ、「ご苦労さまです…」と感じました。


遠くからボンヤリ眺めていると、侍者や朗読をする子供たちはかしこまっているように思いましたが、そばで見ると、そわそわしたり、信者席の誰かに向かってごっそり変顔をしたり…。

でも子供らしくて何となく安心しました。


私の左右と前の席に座っているのはいずれも東南アジア系の人のようでした。

確実に増えてるのだなあ…と改めて思います。


今日の司祭朗読は、イエスが
ろうあ者の障害を治す奇跡の場面が読まれました。

教会に通い始めた20年前は、イエスの奇跡譚を何かの比喩と捉え、いったい真意は何だろう…と考えていたような気がします。

でも今は、ありがたいお話…とそのまま受け取る方が自分にとって自然なことになりました。


昨日の夕方、職場で急に思考力がほとんどなくなったのを感じました。

4連勤の最後で疲労が溜まっていたのでしょうが、(今、緊急時が起きたら対応出来ない)と焦りました。

今朝起きたとき、昨日のその感覚がまだ残っていて、不安が募りました。


今日が日曜で、ミサに預かることが出来て良かったと思います。

御礼のミサ

2017-11-19 | 信仰
今日もお休みでした。


朝、ミサに預かりました。

先週の月曜、父が手術をする日でしたが、朝ミサに預かり、手術の成功をお祈りして来ました。

おかげで父の手術は無事に終わり、感謝の報告をしたいと思いました。


今日のミサでは、ご主人様から大金を預けれた三人の男の説教が話されました。

二人はそれを元にお金を増やしましたが、一人だけ、「ご主人様はとても怖い方だから」とびびって、その大金を穴を掘ってしまってしまいました。
ご主人様が帰ってきて「ここに隠していました」と差し出すと、ご主人様は「怠け者め!」と激怒し、お金を取り上げ、その哀れな男を夜の闇の中、屋敷の外に放り出してしまいます…。

この説話は、今までも何度となく聞いてきましたが、どうも釈然としない…と言うか、恐ろしい印象を受けていました。

怖い主人からお金を預かって、もしものことがあったら…と怯えて隠してしまう気持ちは良くわかります。

私もそういうタイプで、怠け者と言うより小心者なのです。

でも、お金を減らしたわけでもないのに放逐されてしまうとは、なんと恐ろしいことか…と思うのです。

更にご主人様の「誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる」と言う決めつけの言葉が、昨今の極限化したグローバル格差社会を連想させて、身もフタもない気持ちになってしまうのでした。

神父さんは「自分の持っている力を出し惜しみせずに協力しようと言う喩え」とマイルドに解説していましたが、今一つ納得出来ない感がありました。


まあでも、お祈りが出来る居場所があるのは有り難いことです。

私は教会の中庭にあるルルドの泉のマリア様にも、御礼のお祈りをしました。


死者の月

2017-11-05 | 信仰
今日は仕事はお休みでした。


久しぶりに教会に行き、ミサに預かりました。
教会の御堂の入り口に、今年亡くなった教会在籍の信徒さんの名前が一覧で記されていました。

ざっと二十名はいらっしゃいました。

全ての方が御堂で葬儀をされたわけではないでしょうが、かなりの数の方が今年、この御堂で最後のお別れをされたでしょう。

そう思うと、御堂の空間にたくさんの魂が穏やかに収まっているようで、今の私には有り難い想いがしました。

ミサ中、神父さんがお説教で、「カトリック教会では11月を死者の月と定めています」と説いてくれて、お名前が張り出されている理由が分かりました。

亡くなった方たちにきちんと思いを馳せる期間と空間があるのは、残された者の気持ちを癒やすことにも繋がるなあ…と改めて思いました。