今日で6月は終わりです。
ということは、今年も半分が終わった…ということ。
ついこの間「今年」が始まったばかりだと思っていたのにもう折り返しだなんて、本当に早く感じます。
今年のこれまでは、特に大きな災禍もなく過ごしてきました。
家族も含めて健康で穏やかな日々が一番…と考えているオジサンとしては、なかなか良い上半期でした。
そして、認知症ケアの学習に関して新しい一歩を踏み出せた期間にもなりました。
仕事柄も両親の現実としても、自分のこの先を考えても、認知症高齢者の問題は私にとって大きな関係があります。
そういう意味では、良い一歩を踏み出せた年になるのかも知れません。
認知症学習と言っても大上段には振りかざさず、出来るだけ身近な人々と分かち合うようにしていきたいと思います。
大きな声、強い声にはたいてい「うそ」が忍びこんでしまうから。
歳をとればとるほど、何でもないことができなくなる。
逆に言えば、何でもないことをすることに、喜びを感じられる。
食べる、歩く、立つ、話す、聞く、見る。
それが、喜びになるのです。
そのお手伝いが出来ればいいなあ…と思います。
ということは、今年も半分が終わった…ということ。
ついこの間「今年」が始まったばかりだと思っていたのにもう折り返しだなんて、本当に早く感じます。
今年のこれまでは、特に大きな災禍もなく過ごしてきました。
家族も含めて健康で穏やかな日々が一番…と考えているオジサンとしては、なかなか良い上半期でした。
そして、認知症ケアの学習に関して新しい一歩を踏み出せた期間にもなりました。
仕事柄も両親の現実としても、自分のこの先を考えても、認知症高齢者の問題は私にとって大きな関係があります。
そういう意味では、良い一歩を踏み出せた年になるのかも知れません。
認知症学習と言っても大上段には振りかざさず、出来るだけ身近な人々と分かち合うようにしていきたいと思います。
大きな声、強い声にはたいてい「うそ」が忍びこんでしまうから。
歳をとればとるほど、何でもないことができなくなる。
逆に言えば、何でもないことをすることに、喜びを感じられる。
食べる、歩く、立つ、話す、聞く、見る。
それが、喜びになるのです。
そのお手伝いが出来ればいいなあ…と思います。