天魔の顔は残忍な色に染められていた。
眦を異様に吊り上げて白拍子を睨み付けた。
まるで睨み殺すかのようだ。
野太刀を握り直して足を踏み出した。
二人の間に横たわる於福の亡骸を跳び越えようとした。
白拍子は九郎と於福の生首を両腕で抱えていて、何ら武器を所持していない。
それなのに微動だにしない。
足が竦んでいるのではない。
九郎と於福の二人を失った事が信じられないのだ。
二人の生首を胸元に抱えていても、・・・。
ただ黙って天魔を見ていた。
その時だった。
白拍子の脇を熱い風が駆け抜けた。
前田慶次郎。
激しい怒りを全身から放出しながら、
槍を抱え込むようにして天魔目掛けて突き掛かった。
白拍子を狙う天魔の刀を槍の穂先で受け流し、肩から体当たった。
天魔を激しい衝撃が襲った。
勢いと体格の利が相手の方にあった。
天魔は体勢を崩して後方へ大きく弾き飛ばされた。
驚いている暇はない。急いで跳ね起きた。
その目の前に槍が突き出された。
すんでのところ、刀身で穂先をガシッと受け止めた。
慶次郎は相手に反撃を許さない。
巧みに幾度も幾度も槍を繰り出した。
突くも引くも神業。目にも留まらぬ早さ。
天魔は相手の攻撃を受け止めるので精一杯。
化物のような慶次郎の槍捌きに舌を巻いた。
一突き、一突きが鋭く、一瞬の油断が命取りになる。
それでもこの攻撃を凌げば勝負は天魔のもの。
いくら神業といえども慶次郎は所詮は人間。
そのうちに疲れが出てくる。
そこに結城秀康隊が駆け付けて来た。
慶次郎の相手が天魔と知って勢いづく。
幾人もが二人の勝負に割って入り、我先に天魔に挑む。
慶次郎は味方に進路を塞がれてしまった。
天魔にとって慶次郎以外は敵ではない。
あしらうように五、六人を斬り捨てて、これ幸いと後方へ大きく飛び退った。
入れ替わりに魔物兵五十数人が現れ、結城隊に襲い掛かった。
率いるのは天魔の身辺を離れぬ信平。
白拍子達の手によって手練れ者の大半を失ったので、空いた穴を数で補った。
それがこの五十数人だ。
一人残された白拍子。
何時の間にか表情が消えていた。まるで死人ではないか。
ゆっくりと立ち上がった。
両腕に抱えた九郎と於福の生首が、零れるかのように転がり落ちた。
気付いているのか、いないのか。全く気にも留めない素振り。
目を大きく見開いて天を仰ぎ、口を大きく開けて奇声を発した。
声は波動となり、空気を揺らせて拡散した。
夕暮れ時の空、四方八方に大きく遠くへと響き渡った。
白拍子は大柄にして魔物だが、声は何れの枠をも越えていた。
とてもこの世の声ではない。
悲しみとも、怒りとも・・・、判別できぬ声。それが延々と続いた。
死闘を繰り広げ、血飛沫、悲鳴が飛び交う熱い戦場を、
冷や水を浴びせるかのような白拍子の声が襲う。
戦っていた者達は敵味方の区別なく、手を、足を止めた。
飛び交う矢弾も声を失う。
人も魔物兵も、狐狸達も、皆が皆、不安に駆られて何事かという顔をした。
近くにいた者達は声を上げ続ける白拍子を恐る恐る振り向いて目を剥いた。
白拍子の背中に突き刺さっていた槍が、
まるで傷口から吐き出されるかのように不自然に抜け落ちたのだ。
のみならず、その傷口から白銀の光が漏れ出て、
霧状に薄く白拍子の全身を包み込むではないか。
みんなは白銀の光に包まれた白拍子の美しさに目を奪われるが、
慶次郎一人は違った。
鞍馬での白拍子を思い出したのだ。
何やらもやもやとした不安に駆られ、最前までの怒りを忘れてしまう。
豪姫達は敵本陣の祭壇前まで攻め寄せていた。
直ぐ目の前に祭壇が見えるのだが、
それ以上の前進は魔物部隊の抵抗によって遮られていた。
敵にとっては最後の防御線。当然だが隊列は分厚い。
豪姫達の左の榊原康政隊や右の井伊直政隊も同様であった。
必死で防御線を突き崩そうとしていたが戦況は芳しくない。
それでも、さらに右の孔雀や狐狸達の一隊は頑張っていた。
敵隊列に狐狸達が紛れ込み攪乱していたからだ。
祭壇に跳び移ろうとして討たれた数匹の狐狸もいた。
付け入るとすれば狐狸達の攻口からだろう。
豪姫は自ら率いる一隊をそちらに迂回させようかと考えた。
隣に並ぶ夫の宇喜多秀家も彼女の目の動きで、その意図を読んだらしい。
豪姫が口を開くより先に頷いた。
「そうするか」
その時だった。
夕空に何者かの声が響き渡った。
甲高い声だ。とても普通の人間の発するものではない。
悲しいような、怒っているような、・・・。
遅れて冷たい空気が押し寄せて来た。
敵味方の動きが止まった。
互いに顔を見合わせ、周囲を警戒するように視線を走らせた。
響き渡る声に豪姫はふと、・・・白拍子の声音を感じた。
確信はないのだが、感じると無性に彼女の身が心配になった。
声がする左の大手門方向を向いた。
榊原隊が邪魔になって見通せないが、その向こうに何やら胸騒ぎを覚えた。
秀家が眉を顰めた。
「どうした」
「於雪に何かあったようなの」
「白拍子の於雪殿にか」と秀家。
今も響く声に耳を澄ませながら、「この声がそうなのか」と疑う。
「おそらく」
「聞き違いでは」
「だと良いけど」
秀家は豪姫をジッと見詰め、呆れたように笑う。
「目の前の魔物部隊よりも於雪殿か」
「ここまで攻めれば私は無用でしょう」
確かにそうだ。
後は最後の一押しをするだけ。もっとも、それが一番難しいのだが。
大手門方向から鉄砲が放たれる音。
それを合図に戦闘が再開された。
豪姫隊の先鋒を預かる真田昌幸が、「駆けよ」と怒鳴れば、
左右の榊原隊、井伊隊も負けじと騎馬隊を突撃させた。
囮の役目を果たし終えた中山兼行隊が豪姫隊に合流しようと駆けて来た。
その先頭には真田幸村と中山才蔵の無事な顔が見えた。
それを横目に秀家が問う。
「何故、於雪殿にそこまで拘る」
「男に莫逆の友があるように、女にも莫逆の友がいても不思議ではないでしょう」
「しかし、於雪殿と知り合ったのはつい最近ではないか」
「友は長い短いではないわ」
秀家が、「長さでないとすると、・・・濃さか」と。
豪姫は嬉しそうに頷いた。
「そう、濃さよ」
秀家は溜息をついた。
「女にも莫逆の友か。分かった、好きにしろ。後は私が引き受ける」
豪姫は、「有難う、貴男」と素直に頭を下げた。
秀家はそんな豪姫と視線を絡ませた。
「だからといって死ぬのは許さない。いいな」
しっかと頷く豪姫。
夫の言葉が終わると同時に背を向けて一騎で駆け出した。
慌てて秀家が、「藤次、佐助、若菜」と三人の名を叫ぶ。
吉岡藤次、猿飛佐助、天狗族の若菜。
叫ばれるまでもなく三人も馬を急かせた。豪姫の後を必死で追う。
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眦を異様に吊り上げて白拍子を睨み付けた。
まるで睨み殺すかのようだ。
野太刀を握り直して足を踏み出した。
二人の間に横たわる於福の亡骸を跳び越えようとした。
白拍子は九郎と於福の生首を両腕で抱えていて、何ら武器を所持していない。
それなのに微動だにしない。
足が竦んでいるのではない。
九郎と於福の二人を失った事が信じられないのだ。
二人の生首を胸元に抱えていても、・・・。
ただ黙って天魔を見ていた。
その時だった。
白拍子の脇を熱い風が駆け抜けた。
前田慶次郎。
激しい怒りを全身から放出しながら、
槍を抱え込むようにして天魔目掛けて突き掛かった。
白拍子を狙う天魔の刀を槍の穂先で受け流し、肩から体当たった。
天魔を激しい衝撃が襲った。
勢いと体格の利が相手の方にあった。
天魔は体勢を崩して後方へ大きく弾き飛ばされた。
驚いている暇はない。急いで跳ね起きた。
その目の前に槍が突き出された。
すんでのところ、刀身で穂先をガシッと受け止めた。
慶次郎は相手に反撃を許さない。
巧みに幾度も幾度も槍を繰り出した。
突くも引くも神業。目にも留まらぬ早さ。
天魔は相手の攻撃を受け止めるので精一杯。
化物のような慶次郎の槍捌きに舌を巻いた。
一突き、一突きが鋭く、一瞬の油断が命取りになる。
それでもこの攻撃を凌げば勝負は天魔のもの。
いくら神業といえども慶次郎は所詮は人間。
そのうちに疲れが出てくる。
そこに結城秀康隊が駆け付けて来た。
慶次郎の相手が天魔と知って勢いづく。
幾人もが二人の勝負に割って入り、我先に天魔に挑む。
慶次郎は味方に進路を塞がれてしまった。
天魔にとって慶次郎以外は敵ではない。
あしらうように五、六人を斬り捨てて、これ幸いと後方へ大きく飛び退った。
入れ替わりに魔物兵五十数人が現れ、結城隊に襲い掛かった。
率いるのは天魔の身辺を離れぬ信平。
白拍子達の手によって手練れ者の大半を失ったので、空いた穴を数で補った。
それがこの五十数人だ。
一人残された白拍子。
何時の間にか表情が消えていた。まるで死人ではないか。
ゆっくりと立ち上がった。
両腕に抱えた九郎と於福の生首が、零れるかのように転がり落ちた。
気付いているのか、いないのか。全く気にも留めない素振り。
目を大きく見開いて天を仰ぎ、口を大きく開けて奇声を発した。
声は波動となり、空気を揺らせて拡散した。
夕暮れ時の空、四方八方に大きく遠くへと響き渡った。
白拍子は大柄にして魔物だが、声は何れの枠をも越えていた。
とてもこの世の声ではない。
悲しみとも、怒りとも・・・、判別できぬ声。それが延々と続いた。
死闘を繰り広げ、血飛沫、悲鳴が飛び交う熱い戦場を、
冷や水を浴びせるかのような白拍子の声が襲う。
戦っていた者達は敵味方の区別なく、手を、足を止めた。
飛び交う矢弾も声を失う。
人も魔物兵も、狐狸達も、皆が皆、不安に駆られて何事かという顔をした。
近くにいた者達は声を上げ続ける白拍子を恐る恐る振り向いて目を剥いた。
白拍子の背中に突き刺さっていた槍が、
まるで傷口から吐き出されるかのように不自然に抜け落ちたのだ。
のみならず、その傷口から白銀の光が漏れ出て、
霧状に薄く白拍子の全身を包み込むではないか。
みんなは白銀の光に包まれた白拍子の美しさに目を奪われるが、
慶次郎一人は違った。
鞍馬での白拍子を思い出したのだ。
何やらもやもやとした不安に駆られ、最前までの怒りを忘れてしまう。
豪姫達は敵本陣の祭壇前まで攻め寄せていた。
直ぐ目の前に祭壇が見えるのだが、
それ以上の前進は魔物部隊の抵抗によって遮られていた。
敵にとっては最後の防御線。当然だが隊列は分厚い。
豪姫達の左の榊原康政隊や右の井伊直政隊も同様であった。
必死で防御線を突き崩そうとしていたが戦況は芳しくない。
それでも、さらに右の孔雀や狐狸達の一隊は頑張っていた。
敵隊列に狐狸達が紛れ込み攪乱していたからだ。
祭壇に跳び移ろうとして討たれた数匹の狐狸もいた。
付け入るとすれば狐狸達の攻口からだろう。
豪姫は自ら率いる一隊をそちらに迂回させようかと考えた。
隣に並ぶ夫の宇喜多秀家も彼女の目の動きで、その意図を読んだらしい。
豪姫が口を開くより先に頷いた。
「そうするか」
その時だった。
夕空に何者かの声が響き渡った。
甲高い声だ。とても普通の人間の発するものではない。
悲しいような、怒っているような、・・・。
遅れて冷たい空気が押し寄せて来た。
敵味方の動きが止まった。
互いに顔を見合わせ、周囲を警戒するように視線を走らせた。
響き渡る声に豪姫はふと、・・・白拍子の声音を感じた。
確信はないのだが、感じると無性に彼女の身が心配になった。
声がする左の大手門方向を向いた。
榊原隊が邪魔になって見通せないが、その向こうに何やら胸騒ぎを覚えた。
秀家が眉を顰めた。
「どうした」
「於雪に何かあったようなの」
「白拍子の於雪殿にか」と秀家。
今も響く声に耳を澄ませながら、「この声がそうなのか」と疑う。
「おそらく」
「聞き違いでは」
「だと良いけど」
秀家は豪姫をジッと見詰め、呆れたように笑う。
「目の前の魔物部隊よりも於雪殿か」
「ここまで攻めれば私は無用でしょう」
確かにそうだ。
後は最後の一押しをするだけ。もっとも、それが一番難しいのだが。
大手門方向から鉄砲が放たれる音。
それを合図に戦闘が再開された。
豪姫隊の先鋒を預かる真田昌幸が、「駆けよ」と怒鳴れば、
左右の榊原隊、井伊隊も負けじと騎馬隊を突撃させた。
囮の役目を果たし終えた中山兼行隊が豪姫隊に合流しようと駆けて来た。
その先頭には真田幸村と中山才蔵の無事な顔が見えた。
それを横目に秀家が問う。
「何故、於雪殿にそこまで拘る」
「男に莫逆の友があるように、女にも莫逆の友がいても不思議ではないでしょう」
「しかし、於雪殿と知り合ったのはつい最近ではないか」
「友は長い短いではないわ」
秀家が、「長さでないとすると、・・・濃さか」と。
豪姫は嬉しそうに頷いた。
「そう、濃さよ」
秀家は溜息をついた。
「女にも莫逆の友か。分かった、好きにしろ。後は私が引き受ける」
豪姫は、「有難う、貴男」と素直に頭を下げた。
秀家はそんな豪姫と視線を絡ませた。
「だからといって死ぬのは許さない。いいな」
しっかと頷く豪姫。
夫の言葉が終わると同時に背を向けて一騎で駆け出した。
慌てて秀家が、「藤次、佐助、若菜」と三人の名を叫ぶ。
吉岡藤次、猿飛佐助、天狗族の若菜。
叫ばれるまでもなく三人も馬を急かせた。豪姫の後を必死で追う。
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