次に京都鉄道事業発祥の地の石碑です。明治27年(1894)2月1日に高木文平を社長に京都電気鉄道株式会社が設立され、翌明治28年2年1日に我が国初の電気鉄道が東洞院塩小路〜伏見町下油掛間に開通しました。6.3km間を時速40km.40分で運行しました。駿河屋さんの角に石碑があります。
「京都鉄道事業発祥の地」の石碑はもう一ヶ所あり京都駅前にあります。
坂本龍馬 遭難の材木小屋跡
龍馬が寺田屋で伏見奉行所の役人に捕縛されそうになり命からがら脱出し、隠れた場所です。碑は設置場所の関係か今の大手橋の向かい側にあり今はマンションになっています。一緒に逃げている三吉慎蔵は自刃しようとしましたが龍馬に止められ、薩摩藩伏見藩邸に助けを求めに行き、薩摩藩留守居役、大山彦八が舟で材木小屋に向かい無事に龍馬を救出しました。慶応2年(1866)1月4日未明の出来事でした。
薩摩藩伏見屋敷跡
江戸時代、西国大名は参勤交代の際、洛中に入ることが許されず、伏見から山科を経て東へ向かっていました。その際の宿が薩摩藩伏見屋敷です。
のちに13代将軍家定に嫁いだ篤姫もここに1週間ほど滞在したそうです。のちの鳥羽伏見の戦で会津兵士の襲撃で焼失しています。
大黒寺
元和元年(1615)薩摩藩主島津義弘は島津家の守り本尊と同じ出世大黒天を祀るこの寺を薩摩藩の祈願所とし寺の名も大黒寺に改めました。別名「薩摩寺」とも言われています。
文久2年(1862)の寺田屋騒動で犠牲になった薩摩九烈士の墓があり西郷隆盛が自費で建立し、墓碑銘も自筆しています。
また、幕府の命で行った木曽川改修工事の予算超過の責任をとって自刃した平田靱負(ゆきえ)の墓もここにあります。
以上、三部作をご覧いただきありがとうございました。
「京都鉄道事業発祥の地」の石碑はもう一ヶ所あり京都駅前にあります。
坂本龍馬 遭難の材木小屋跡
龍馬が寺田屋で伏見奉行所の役人に捕縛されそうになり命からがら脱出し、隠れた場所です。碑は設置場所の関係か今の大手橋の向かい側にあり今はマンションになっています。一緒に逃げている三吉慎蔵は自刃しようとしましたが龍馬に止められ、薩摩藩伏見藩邸に助けを求めに行き、薩摩藩留守居役、大山彦八が舟で材木小屋に向かい無事に龍馬を救出しました。慶応2年(1866)1月4日未明の出来事でした。
薩摩藩伏見屋敷跡
江戸時代、西国大名は参勤交代の際、洛中に入ることが許されず、伏見から山科を経て東へ向かっていました。その際の宿が薩摩藩伏見屋敷です。
のちに13代将軍家定に嫁いだ篤姫もここに1週間ほど滞在したそうです。のちの鳥羽伏見の戦で会津兵士の襲撃で焼失しています。
大黒寺
元和元年(1615)薩摩藩主島津義弘は島津家の守り本尊と同じ出世大黒天を祀るこの寺を薩摩藩の祈願所とし寺の名も大黒寺に改めました。別名「薩摩寺」とも言われています。
文久2年(1862)の寺田屋騒動で犠牲になった薩摩九烈士の墓があり西郷隆盛が自費で建立し、墓碑銘も自筆しています。
また、幕府の命で行った木曽川改修工事の予算超過の責任をとって自刃した平田靱負(ゆきえ)の墓もここにあります。
以上、三部作をご覧いただきありがとうございました。