高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

職人の世界 1 落語家の世界

2007-03-25 22:49:22 | 高校公民空間

立川談四楼のうらやみ

柳家喬太郎がいいとは聞いていた。先日、初めて共演した際、この目と耳で確認したが、やっぱりいいのである。入門が遅かったため34歳の今も二つ目だが、センス、テクニックともにその辺の真打ちのはるか上を行き、新作落語がまたいいのである。喬太郎は旧態依然とした落語協会に籍を置くが、どんな環境からも出るヤツは出てくるといういい見本なのである。
 一門の談生が江戸を背景とした新作落語にチャレンジしていると聞き、「お江戸日本橋亭」へ出かけた。客席は満員の100 人、それも通常の寄席と違う、新しい流れに敏感な客層である。楽屋をのぞき、さらに驚いた。スタッフが約20人いたのだ。聞けば放送作家をはじめとする業界周辺の人たちで、それぞれ仕事の合間を縫い、談生のために集結しているという。今の、そしてこれからの落語家に一番大事なブレーンを、談生は早くも獲得しているわけだ。
 談生は「火事女房」(古屋啓子・作)を演じた。座付き作家は今回の古屋のほかに平野宗彰、そして談生本人といるわけだが、初めて聞く新作の出来は悪くなかった。ちゃんと江戸のにおいと落語的味付けがなされていたのだ。
 その20人が繰り出した打ち上げはにぎやかで、談生の落語について盛り上がった。はたからこれを眺め、芸人としてつくづくうらやましく思った。そしてオレは二つ目時代になぜこういう会とブレーンを持てなかったのかと自責の念にかられもした。
 談生は早稲田を出て塾の先生をしていたという変わり種である。したがって入門は遅く妻帯もしていて、おまけに二つ目ホヤホヤ、当然生活は苦しい。しかし談生にはブレーンがいる。仲間がいる。これは何よりの強みだ。それ証拠に、談生は喜々として新作落語に挑んでいる。まだごく一部の動きしか見えてこないが、二つ目が新しい流れを作りつつあることは確かだ。= 敬省略》(立川談四楼、日刊ゲンダイ8 月7 日号より全文掲載)

 春風亭小朝の「小朝が参りました」というNHKの番組があったが、喬太郎はレギュラーで出ていたのでご覧になった方もあるかもしれないが、立川談生という名前をご存じの方はいらっしゃらないかもしれない。私も、立川流の若手が中心となった落語会で二度程見たきりである。が、確かに才能を感じた。「ゲロ指南」という「あくび指南」のパロディをやったのだが、これがバカ受けであった。こんなくだらねえネタもないのに思わず爆笑なのであった。喬太郎は鈴本で発見し、それから何度か聞いた。一度、沼津の寺が主催する落語会に来た。抜群の才能である。古典も新作もこなすが、なんといっても芸が群を抜いている。この筆者の談四楼も芸は並ではない、確かにプロを思わせる。ただ、一門の一枚看板でいえば志の輔や志らくと比べたとき、地味であるというのが私の印象である。
 さて、人物紹介はこれくらいにして、談四楼の文章を紹介したかったのである。とりわけ、彼が談生のスタッフに対する羨みをのべているくだりが、実は私のものでもあり皆さんに読んでいただきたかったのである。いま、落語界は若い層が育ってきている。ただ単に古典をそのまま演ずるのではなく、現代へのメッセージを込めて再構成していく、こうした立川談志の精神が受け継がれ、発展していっている。彼らは皆落語を愛し、談志の言う「落語とは人間の業の肯定」という哲学をどう現代に再生させるかというテーマと格闘している。私もジャンルは違え、古典を現代へという営為において大いに学びうると考えている。東京に住んでいるなら、私の家の家計はどうなっているやら・・・そのくらい今、30から40代の落語家は旬である。
 しかし、その彼らにはこうした仲間が集い、ブレーンとしてあるいは共同研究者として落語づくりに参画しているのである。もちろん、売れなければ意味はない。そこへむけて、いわば生活をかけて取り組んでいる。その集まりの姿は想像するだけでうらやましいのである。さて、私はこの文章を書いた談四楼のうらやみについて書いてみたい。もちろん、私には談四楼ほどに落語を評価する力などとてもない。だから、私がうらやむそれと談四楼のそれはおそらく比較にならない差があるだろう。落語というものに20年30年取り組んでいる人の言である。いや、それだけの年数をかけてきた人が素直にうらやんでる姿に驚いたのである。いきなり現実に戻りたくないが、私の職場にはそういう集まりを、あるいは若い人たちが研究する姿をうらやむ40代も50代もまったくいない(大体、困ったことに研究する若い人がいない)。芸を愛し、芸を磨くという姿に私の職業世界から脱落したものをみ、羨望する自分を重ねているのかもしれない。

「演ってみましたけど、できません」

《「(「独り会」で)・・・「庖丁」っていうね、ま、難しいとされる落語があるんですよね。端唄歌いながら女口説くっていうね。やってやろうかと思って、(でも)できねえんだよ。それから、円生師匠のところへ行って、『どうもできねえんで、一つ、師匠代わりに演ってもらえませんかねえ、高額なカネ払いますから』・・・
 それでねえ、平気で客の前にね
『演ったけどね、できませんでねえ、本物を聴かせますから』って言って円生師匠を出したんだけどね。そりゃあ、客は喜ぶよね。・・・円生師匠も喜びますよね。『そうかい、おまえさんにはまだできないんだよ』なんて言ってね。」
「でも、ほんまはできたんでしょ」(と間寛平)
「いやいやできない。全然ちがうようにして今演っているけどね。でも、円生師匠のがいいっていう人にとったら、なんてヒドイもんだろうって言うかも知れません」》(「いつみても波瀾万丈」より)

 これは立川談志の懐古談である。落語を40年も演ってきた人が

「できない」

というのである。もちろん、客に聞いてもらえるようなものにならないという意味である。そういうことを公的な電波に乗せる談志に私はすごさを感じてしまうのである。談志は実は出来の善し悪しにかなり差がある。いつだったか、朝日ホールで独演会をやったとき、それは端で見ているだにひやひやするくらいヒドイ出来のものだった。その、ひどさに当人が焦っているのもわかるのである。高座がおわった談志は出口に出てきて、「すいませんでした」と一人一人にわびながら立っているのである。人はこういう談志を知らない。私が談志に惹かれてしまうのはこうした求道者の姿を見るからなのかもしれない。

「演ったけどね、できませんでねえ、本物を聴かせますから」

 私はVTRでしか知らないが、確かに円生の「庖丁」は絶品である。現在なら芸では当代随一と私が思う春風亭小朝がどうこの噺を演るのか、見てみたい気がする。それにしても、「自分にはできない」という高みを知るという境遇を私はうらやむのである。間寛平の質問に対して、談志が自嘲気味に「できない」といっているシーンはぜひお見せしたい。日暮れて道なお遠し、という言葉がある。こうした、求道者としての50代後半の姿というものに私はうたれてしまうのである。50代後半に達したとき、私もこうありたいものではないか。

高校の現場

 専門性などかけらもない職場を20年の余すごしてきた。私は若い人には、自分を限定せよ、と言い続けてきた。

「自分には出来ない」

という高見をもとう、と。この業界では「現代社会」という途方もない科目がたんなる手抜き科目として扱われている。

「経済の授業はできない」

というのが、いま私の抱える暗黒である。どうつついても、経済を切実に提起できない。生徒はきいていない。大学の学問分野でいえば、

「経済学」「法律学(憲法)」「政治学」「人文地理」「哲学」「社会学」といった分野が総合的に組み合わされた科目が「現代社会」である。憲法学ひとつとっても、経済学ひとつとっても、議論の潮流をフォローするだけでも絶望的である。それを生徒が耳を傾けるという形式に焼き直す作業、教材として編成する作業が加わるのだ。ふつうなら、

「できません」

なのだ。現代社会を一年間で、複数の専門家で担当するなどという発想さえ必要なはずの文字どおりの「総合学習」こそが、「現代社会」である。私は50になる付近から、ほとんど独学に追いつめられたという感じがしている。共同で研究するなどという仲間はいない。私の専門の「倫理」については、ほとんど、専門的な研究仲間はいない。チャート式とシグマベスト、哲学のこぼれ話じゃあ話にならないではないか。
 そういう意味で、高校現場は危機的である。どう危機的か、といえば、リストラとか、労働現場の価格破壊という潮流への防波堤がまったくない、という意味でだ。あっというまに、年収200万円の世界になっていってしまうだろう。そのくらい、熟練も要らない、熟練の欠如にも気付かない、たんなる規制で守られたナルシスだけが跋扈している世界なのだ。そして、そのグローバリズムの潮流を阻んでいるのは、もちろん、教育委員会、文部科学省という規制なのだ。組合はそのあとをなぞっているだけだ。


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