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松井と松坂にみるポストモダン
私はいつのころからか、プロ野球と大相撲を見ることがなくなりましたね。野球は特定の球団のファンだったことはありませんが、落合現中日監督や野茂英雄といった選手に注目し、調査したことはありました。落合はきわめて魅力的な選手でしたね。
東京症候群と私が名付ける流動があります。高度成長経済が産みだしたものです。
東京で成功するという物語です。
読売巨人軍という成功物語。
東京大学という成功物語。
東京のTV局で売れるという物語。
日本社会は、東京へとすべての資源を集中し、東京こそが成功物語の中心なのだ、というシステムでやってきました。
かつて、読売巨人軍は胸にTOKYOというマークを入れていたんです。これって象徴的ですね。読売巨人軍の先は存在しなかったのでした。そこで成功することが、経済的な成功をも同時に意味したのです。
私はかつて、下田北高校というある意味シンボリックな街にある公立高校に勤務しました。それは、あざやかにこの東京症候群を現していたのです。下田北高校は進学校です。大学進学を第一に考えている高校です。地域のエリートがここから切磋琢磨して巣立っていくのです。そして、一旦巣立った彼らは、地元には戻ってこないことを前提にしていました。東京へと出ることがまず成功物語だったのです。そして、そのなかでたまさか地元に戻ってくるエリートでさえ、下田には戻ってきません。東海道沿線の都市で生活をすることを次なる成功物語としたのです。
ですから、東京から先というものにたいしては、どうも実感がなかったのではないでしょうかねえ。で、話を野球に戻しますと、私たちの世代が見ていたスターたちは、読売巨人軍で東京で活躍する先など、見ていなかったのです。読売巨人軍で日本一になる。今でもこの物語に熱狂している20代ってどのくらいいるんでしょうねえ。かつて、王さんや長嶋さんは、読売巨人軍の先を考えもしなかったはずです。
松井選手をみてみましょう。松井は、おそらくもっとも能力としてすぐれた年代に達したFA権獲得とともに、巨人軍を後にしたのです。そうです。松井には、巨人軍が最後の物語ではなかったのです。松坂選手もそうですね。西武も立派なパリーグの老舗球団でしょ?しかし、彼は、FA権の獲得とともに、西武を後にしました。東京症候群の終わりをおそらくこの二人は決定づけたと僕は思います。野茂英雄が空けた穴を、イチローがさらに大きな穴とし、ついにこの二人はもう戻ることの出来ないルートを開けはなったのです。
高度成長後の近代化以後の動きを総称してポストモダンと呼びます。近代以降の資本制システムをどう考えるか、終わりなき変動としての資本制システムを彼らは考える材料を提供しています。
差異だけが利潤を生む
ここで、こういう思考を考えてみたらどうでしょうか。松坂はアメリカを選びました。さっそくのアメリカでの最初のゲームに登板した松坂のコメントがなかなか意味が深いんですね。
「別段かわったことはありません。シーズンが始まりはじめての先発が今年もあった、というだけのことです」
言われてみれば当たり前の事実です。
そうです。松坂は、しょせん、野球で投手をやることにおいては同じなのです。追加説明をすれば、しかし、これまでは、日本の地方で野球をやるのではなく、東京で、それも読売巨人軍で野球をやることが成功物語でした。東京へと所属すること、西武ではなく読売に所属すること、これがこれまでの成功物語だったのです。同じ野球をやるにしてもですよ、東京という異なる場所で野球をやること、これが成功物語だったのです。
しかし、松坂にはそれが魅力としては映ってはいなかったということです。はたして、読売であったら100億ドルというお金が動いたでしょうか?これだけのマスコミの報道があったでしょうか?大体、読売巨人軍の視聴率はがた落ちです。読売巨人軍は差異を生み出せなくなってしまったのです。つまり、巨人軍へと移籍=差異を産むことでは、何か新しい物語が始まると人々が思えなくなってしまったのです。
それが、ロッテだったらどうでしょうか?
日本ハムだったらどうだったでしょうか?
中日ドラゴンズだったらどうだったでしょうか?
レッドソックスへと移籍した松坂を目当てに、アメリカへと観光をする日本人の数、地元のアメリカ人の熱狂、彼らがみる新しい松坂は、西武の松坂ではありません。だから、一目見に行くのです。
私は、詳細な野球のデータをもっていません。だから、このアメリカが産む差異の網の目と、その差異の力を発揮できなくなってしまった日本の東京の網の目の違いを説明はできません。しかし、確実にいえることは、東京へと一極集中するという高度成長モデルが終演していることがこういう形でも現れていると言うことです。
高等学校に話を戻すと、私の所属する静岡県でも有数の進学校での受験指導の情報をちらほらと耳にしています。それをみると、どうみても東京症候群以外の指導をする能力のない教員集団の末期が暗然と見えるだけです。ただ、受験の詰め込みをすること、東京大学に入る人数を競うこと。その努力をすればするほど、私たちは、インドや中国に抜かれていくことになるでしょう。問題は差異を生み出すこと、その能力をいかに生み出すかなのです。しかし、・・・。
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