天国に還れる生き方を──幸福の科学の葬儀【どうして供養が大切なのか(3)】
2020.04.12(liverty web)
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、葬儀の規模縮小や自粛が広がっている。こんな時だからこそ、「葬儀や供養の意味」が問われているような気がしてならない。
本欄では、このたび肉親を亡くした記者が、「幸福の科学式の葬儀」の経験をもとに、その意味を考えてみる。
【どうして供養が大切なのか】
第1回目 : 「どのような葬儀にしようか」
第2回目 : 「いい通夜でした」
◆ ◆ ◆
幸福の科学葬では、いわゆる通夜にあたる「通夜式」と、告別式にあたる「帰天式(きてんしき)」が行われる。帰天式は、霊界入りした魂に自らの死を自覚してもらい、光の世界へと旅立つ導きを与える儀式だ。遠方からも友人・知人が駆け付けてくれた。
通夜式と同じく、幸福の科学の地元の支部の支部長に導師を務めてもらった。参列者で幸福の科学の根本経典である『正心法語(しょうしんほうご)』を唱和した後、大川隆法総裁による「総本山・先祖供養経」の読誦の音声が会場に流れる。亡くなった人の魂があの世で天国に入り、そしてあの世でも修行を続け、仏への道を歩んでいくための導きの言葉だ。
続いて行われた導師法話では、「帰天式」とは、いわばこの世の「卒業式」である、と語られた。幸福の科学では、人間は魂を磨くためにこの世に生まれ、あの世に還ると教えている。この世は「魂の学校」のようなものであり、さまざまな経験がすべて学びの機会である、ということだ。
弔辞を下さったのは、父の勤めていた会社の社長だ。父が入社してからこの日までの日数も語られ、事実上の「退社式」となった。社長は弔辞で、父に苦労をかけたことを労ってくださった。しかし、経済状況も不安定な中、一番苦労したのは、経営者である歴代社長に違いない。私たち家族の暮らしと人生を支えてくれた、会社の皆さんへの感謝の機会ともなった。
棺桶の蓋が閉じる時
いよいよ、出棺の時が来た。参列者の皆さんは、花を棺桶に入れながら、「あの世で楽しく暮らしてください」「お疲れ様」「いいところへ帰ってね」などと、父のなきがらに声をかけてくれた。
「棺桶の蓋が閉じるまで」という言葉がある。人生の最後に、その人の真価が問われるという意味だ。今まさに、父はその時を迎えた。
父は病気が再発したと分かってから、幸福の科学の法シリーズの新刊『鋼鉄の法』を、毎日少しずつ読み進めていた。父はずっと読書が嫌いだったので母は驚いたというが、難しい言葉がなく、具体的な話が多いので分かりやすかったそうだ。両親は、『鋼鉄の法』の内容についてよく語っていたという。
その頃、私のところに父から「死ぬのは怖くないよ」と連絡が来ていたが、決して強がりで言っているようには聞こえなかった。
『鋼鉄の法』第6章「奇跡を起こす力」では、幸福の科学で病気が治る奇跡が数多く起きていることや、奇跡の起こるメカニズムが解説されている。その中で、「それでもいつかは寿命が尽き、この世を去らなければならない時が来る」ことを踏まえ、このような一節がある。
「この世で真理をつかんだ人、悟った人にとっては、『死』さえも、『死ぬ』ということさえも、実は怖くはないということが分かってくるでしょう。実際に怖いのは、『自分が死んだらどうなるか』ということを、まったく考えもせずに生きてきた人たちです」
人間、「知らないものは怖いもの」である。あの世がどうなっているか分からなければ、死ぬのは怖いだろう。しかし、大川総裁の説法や霊言では、あの世には恐ろしい地獄もあるが、天国の生活は明るく幸福であり、素晴らしい人もたくさんいることが説かれている。
天国に還れる生き方とはどういうものなのか。『鋼鉄の法』では、生きていく中でたどり着いてほしい境地として、「毎日反省をして心を磨き、透明な心で生きる」「愛を奪うのではなく、愛を与えて生きる」ことが書かれている。こうした心がけで生きていれば、この世でも幸福で、あの世でも幸福な生き方ができるだろう。
「死んだのかなあ」という実感を持つこと
ついに出棺を迎えた。火葬場に着くと、火葬前に、導師が炉前式(ろぜんしき)を行った。故人の来世の幸福を祈るとともに、魂が肉体に執着しないよう、離れておいてください、という最後の確認だ。そしていよいよ、棺が炉に入る。分かっていても、ちょっとヒヤッとした。
「ちゃんと、魂は肉体から離れてるよね……?」
そう思った瞬間、父がお気に入りの、抹茶色のベストを着た姿で、親族と一緒にそこに立って、「皆、大変みたいだよ」と言っているような気がした。自分が死んだことが分からず、肉体から離れていなければ、焼かれることは恐怖以外の何ものでもないだろう。
大川隆法総裁は2017年、評論家の渡部昇一氏が亡くなって半年後に霊言を収録している(『渡部昇一 死後の生活を語る』所収)。渡部氏の霊は、亡くなった直後、死を自覚せず迷っている霊を複数目撃したと語り、儀式の意味について次のように語った。
「『死んだ』って言われても、なかなかその気が起きてこないから、やっぱり、自分の写真を飾られたり、まあ、泣いてくれる方もいらっしゃるけど、そういうところに人がいて、『ああ、やっぱり、死んだのかなあ』っていう実感が、多少、してくるから」
「教会とか神社仏閣等で、神様っていうかさ、仏様っていうかさ、そういうもっと上の人が、いざというときは救ってくださる態勢があるっていうことは、すごく安心感があるので。(中略)『家族だけで供養するっていうのは厳しいなあ』っていうのは、やっぱり、感じるねえ」
最近は、通夜・葬儀を行わず、火葬だけで済ませる場合もある。
華美な葬儀は必要ないという考え方もあるし、様々な事情で十分に葬儀が執り行えないこともあるかもしれない。しかし、宗教儀式には意味がある。単に「儀式はやらなくてもいい」と考えて省くというのであれば、霊的真実を踏まえると、やはりお勧めできない。
葬儀を通して学んだ「与えられているもの」
今回、幸福の科学の葬儀は「感謝」が集まる儀式であることを実感した。
参列者が故人に感謝を手向けると同時に、故人が今回の人生でお世話になったすべての人、そして神仏に感謝していることを感じたのだ。導師は、故人が迷いなくあの世に還り、霊界でさらなる修行に励むことを促してくれた。神仏の光が臨む中、故人は、今世の人生を与えられたことの感謝を深める機会となった。
本稿はあくまで記者の体験記であるが、「終活」を考える際の参考になれば幸いだ。(了)
(晴)
【関連サイト】
幸福の科学グループ 来世幸福セレモニー
https://raise-kofuku.jp/
【関連書籍】
『鋼鉄の法』
大川隆法著 幸福の科学出版
『渡部昇一 死後の生活を語る』
大川隆法著 幸福の科学出版
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