【移民の成功学・失敗学】フランス編 Vol.2フランス的平等から見る移民政策の歩み(後編)
2018.12.01(liverty web)
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城取 良太
プロフィール
(しろとり・りょうた)1977年東京都生まれ。山形県酒田市在住。成蹊大学経済学部卒業後、人材コンサルティング業界を経て、幸福の科学に奉職。HS政経塾1期生。趣味は映画鑑賞、サッカー。
生産年齢人口が減少しつつある今、日本も移民政策について考えざるを得ない状況になっている。山形を拠点に政治活動をしつつ、世界を飛び回って政策研究を行う城取良太氏が、諸外国の移民政策の実態をレポートする。今回はフランス編2回目の後編となる。
1972年─新しい移民への危機の高まり
「(イスラム系)移民は怖い」という国民感情が徐々に広がりつつある中、登場したのが、前回紹介した小説『服従』でも重要な役割を占める国民連合(旧:国民戦線)だ。
彼らの登場は、ちょうど1980年代から90年代にかけて、パレスチナ問題などの中東情勢の影響で、パリがテロリズムの標的になったころだ。
日本では単に「極右政党」と紹介され、偏見を持って語られがちだが、国民連合の主張は、「移民の制限」「EUからの離脱」「保護主義の貿易」「警察活動の強化」「死刑の復活」「国民による直接投票の実施」など、非常にシンプルで明快なものだ。
経済危機による当時の暗い世相と相まって、それまでタブーだった移民(イスラム系)に対する嫌悪感を表明し、一部の右派たちの圧倒的支持を得てきた。
創立者の三女、マリーヌ・ル・ペンが党首になってからは、移民への露骨な反対より、雇用対策や住宅問題などの生活に身近な政策を前に出し、マイルドなイメージ作りを行っている。
その結果、もともとの支持層である地方部、小都市の労働者のみならず、本来、国民連合のスタンスとは異なるはずの移民第二世代やLGBTの若者からも支持されるすそ野の広い政党になりつつある。
実際、2017年5月の大統領選挙において、ルペン氏は第2候補として初めて決選投票に残り、マクロン現大統領と争った。
『服従』の著者ミシェル・ウエルベック氏の近未来予想通り、ピースの一つは確実にパズルに収まりつつあると言っていいだろう。
2003年─フランスの移民政策の大転換
移民統合の失敗が表面化してきた21世紀、シラク政権下で「2003年移民法」、サルコジ政権下で「2006年移民法」が続けて施行された。
移民政策におけるそれまでの原則だった「無制限の受け入れ」から、高度技術者や専門職など経済移民を中心とした「選別的受け入れ」へと大きく舵を切った。
入国を許された移民はフランスと「受入・統合契約」を結び、同国の諸制度、ライシテ(政教分離)を中心とした共和国的価値観、そしてフランス語の習得が義務化され、滞在証更新の際には、その約束が守られたかどうかチェックされるようになった。
また、家族移民の受け入れ厳格化に加え、不法入国した移民も、10年以上の滞在で合法化される措置が廃止になるなど、フランスは移民政策の大転換を図ることになる。
「イスラム国」誕生によるシリア難民受け入れの際、フランスはEU内でも圧倒的に貢献度が低く、かつてのような姿は見えなくなった。
1945年─フランス的平等の限界
移民政策を転換するチャンスは、実は、第二次大戦後にもあった。
大戦後、フランスでは「平等主義的な移民政策は結局、国の民族的な防衛を図ることを困難にした」という反省から、選別的な移民政策をとるという動きが起きた。
しかし、ナチスに迎合したヴィシー政権を否定する空気に支配された当時は、「選別的な移民政策=人種差別」として嫌悪された。結局は、オリジン(出自)を問わない、共和国的な平等主義を原則とした移民政策が戦後も続いた。
フランスの思想家トクヴィルは、その著作において「自由の中に平等を求める。もしそれが得られないならば、隷属の中に平等を求める」と、フランス人特有の平等への愛着を表現した。
しかし、行き過ぎた平等の徹底は、結果として、文化や宗教の異なるイスラム移民に対する差別を生んだ。フランス人が言う「平等」が維持されたのは、大量の欧州圏外からの移民流入がはじまる前の、ヨーロッパ的フランスの時代までだったと、歴史が証明したといえよう。
17世紀~20世紀─「平等」の理想と大きく乖離するフランス的帝国主義
フランスに大きな影響を及ぼす主な移民層が、旧・植民地出身だという点も見逃せない。
「野蛮で無知な現地人を"文明化"することが崇高な使命である」と独善的に美化し、植民地支配を正当化する傾向が強いのが、フランスの帝国主義モデルの特徴といえる。
フランスが掲げる共和国の理念といえば、「自由・平等・博愛」だが、植民地においては、「服従・階層・排除」の価値観が支配していた。すなわち、ダブルスタンダードがまかり通っていたというのが実際のところだろう。
また不思議なことに、本国では共和派、世俗派とカトリックが激しく対立していたにもかかわらず、植民地においては、キリスト教伝道と植民地の効率的経営が連帯し、驚くほど歩調を合わせていたと言われている。
フランス式統治の失敗は、泥沼化したアルジェリア独立戦争に象徴されている。
アルジェリアでの統治は苛烈で、教育なども皆無に等しく、実質的な「文明化」には程遠い状況だった。そんな中、多くのムスリム原住民が反政府運動に身を投じ、独立に向けて命がけで戦った。深い「怨念」「憎しみ」を残したといえるだろう。
現に、2005年にパリ郊外で起きた大暴動の中心となったのは、アルジェリア系移民たちだった。
こうした植民地支配の歴史を振り返ると、アルジェリア独立から60年が経過する2022年、イスラム政権が誕生するという『服従』の近未来的シナリオは大変興味深い。
かつて、フランスがアルジェリアを"文明化"しようとしたように、今度は、イスラム系移民が信仰を失った世俗的なフランスを"再文明化"すべく、「民主主義的」かつ「平和的」な手法で、イスラム的信仰国家に変えるという大いなる皮肉と矛盾が描かれている。
これは現実にも起こりうることであり、文明の流れが逆流する可能性を感じずにはいられない。
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