補足~2
~ケンペルが見た関所~
旅の途中、ケンペルは箱根関所を次のように紹介しています。
…(3月11日、三島から箱根に向かい)
この村(箱根宿)のはずれに将軍の番所があり、
御関所と呼ばれ、新居の関所と同様に、
武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を
通さないのである。
この場所を閉ざせば、
西方の地方の人々は通過することができず、
ここは江戸にとっていわば戦略上の要衝であるから、
新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍にある関所の建物の前後には、
柵と頑丈な門が作ってあり、
右手は険しい山が崖となり、
左手は湖があって自然の要害をなしている。
…(中略)それから、われわれはまず村はずれにある、
いま述べた将軍の関所にさしかかったが、
日本人はみな駕籠や馬から下り、
かぶり物をぬいで、人も荷も点検を受けたが、
それはうわべだけ行われたに過ぎなかった。(以下略)
古美術崎陽
長崎の歴史
~ケンペルが見た関所~
旅の途中、ケンペルは箱根関所を次のように紹介しています。
…(3月11日、三島から箱根に向かい)
この村(箱根宿)のはずれに将軍の番所があり、
御関所と呼ばれ、新居の関所と同様に、
武器を持ったり婦人を連れたりする旅人を
通さないのである。
この場所を閉ざせば、
西方の地方の人々は通過することができず、
ここは江戸にとっていわば戦略上の要衝であるから、
新居よりもはるかに重要な意義をもっている。
非常に狭い道の傍にある関所の建物の前後には、
柵と頑丈な門が作ってあり、
右手は険しい山が崖となり、
左手は湖があって自然の要害をなしている。
…(中略)それから、われわれはまず村はずれにある、
いま述べた将軍の関所にさしかかったが、
日本人はみな駕籠や馬から下り、
かぶり物をぬいで、人も荷も点検を受けたが、
それはうわべだけ行われたに過ぎなかった。(以下略)
古美術崎陽
長崎の歴史