本木昌造関連補足
(5)
活版印刷に使われる活字の話~その3
増刷さえ行なわなければ、
活字版は経済的であり、
また、整版に比べて多少いびつな文字の並びになったり、
凹凸によって文字ごとの濃淡ができたとしても、
小部数の出版には、木活字版は適していた。
また、その特徴として、小部数の発行であったことから、
幕府公儀の許可を得なくても出版することが可能であった。
そのため、堂々と出版できない類いの
思想性を帯びた図書などが、
木活字版として出版された。
幕末期の日本では、外国との交流の気運が高まり、
西ヨーロッパの技術を移入しようという試みがなされた。
活字もまた同様で、
大鳥圭介、島霞谷、本木昌造らが試行し、
一定の成果を得た。
ヨーロッパにおける東洋学のなかで、
日本語活字が製造されたりもしている。
ジェームス・カーティス・ヘボンは
和英辞典の出版を考えたが、
日本では印刷できずに
中国上海に渡り美華書館で印刷した
(『和英語林集成』1867年出版)。
岸田吟香の字を基に片仮名活字が作られている。
古美術崎陽HP
(5)
活版印刷に使われる活字の話~その3
増刷さえ行なわなければ、
活字版は経済的であり、
また、整版に比べて多少いびつな文字の並びになったり、
凹凸によって文字ごとの濃淡ができたとしても、
小部数の出版には、木活字版は適していた。
また、その特徴として、小部数の発行であったことから、
幕府公儀の許可を得なくても出版することが可能であった。
そのため、堂々と出版できない類いの
思想性を帯びた図書などが、
木活字版として出版された。
幕末期の日本では、外国との交流の気運が高まり、
西ヨーロッパの技術を移入しようという試みがなされた。
活字もまた同様で、
大鳥圭介、島霞谷、本木昌造らが試行し、
一定の成果を得た。
ヨーロッパにおける東洋学のなかで、
日本語活字が製造されたりもしている。
ジェームス・カーティス・ヘボンは
和英辞典の出版を考えたが、
日本では印刷できずに
中国上海に渡り美華書館で印刷した
(『和英語林集成』1867年出版)。
岸田吟香の字を基に片仮名活字が作られている。
古美術崎陽HP