古美術 崎陽

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幕末の長崎で活躍した人~本木昌造

2009-12-01 10:55:28 | 長崎の歴史
写真は大坂に建つ本木昌造像



「本木昌造」

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エピソード

失敗をくり返し貧苦のどん底にあえいでいたころ、

米国人技師ガンブルと知り合い、

彼の指導と援助でついに

「電胎法母型による活字鋳造」に成功する。

神奈川県令今井関盛良はこの話を小耳にはさみ、

さっそく昌造の印刷で「横浜毎日新聞」を刊行。

そのすばらしい出来栄えを、

知人の大阪の実業家五代友厚にみせびらかす。

西洋通で知られた友厚は、

かねがね英和辞書を刊行したいと思っていたので

北久太郎町に「大阪活版所」を設立、

「辞書は印刷技術だけではない。

 語学に堪能な貴殿なら適任だ」と、

昌造のプライドをくすぐって勧誘、

資金五千円也を提供した。

昌造が大阪の活版事業に大きく貢献するもとになる。

これが「薩摩辞書(別称・南海事典)」である。

薩摩辞書は明治期の西洋文化の吸収に、

多大な貢献をした。

活字印刷の重要性が改めて認識される。



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