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写真は大坂に建つ本木昌造像
「本木昌造」
(10)
エピソード
失敗をくり返し貧苦のどん底にあえいでいたころ、
米国人技師ガンブルと知り合い、
彼の指導と援助でついに
「電胎法母型による活字鋳造」に成功する。
神奈川県令今井関盛良はこの話を小耳にはさみ、
さっそく昌造の印刷で「横浜毎日新聞」を刊行。
そのすばらしい出来栄えを、
知人の大阪の実業家五代友厚にみせびらかす。
西洋通で知られた友厚は、
かねがね英和辞書を刊行したいと思っていたので
北久太郎町に「大阪活版所」を設立、
「辞書は印刷技術だけではない。
語学に堪能な貴殿なら適任だ」と、
昌造のプライドをくすぐって勧誘、
資金五千円也を提供した。
昌造が大阪の活版事業に大きく貢献するもとになる。
これが「薩摩辞書(別称・南海事典)」である。
薩摩辞書は明治期の西洋文化の吸収に、
多大な貢献をした。
活字印刷の重要性が改めて認識される。
古美術崎陽HP
「本木昌造」
(10)
エピソード
失敗をくり返し貧苦のどん底にあえいでいたころ、
米国人技師ガンブルと知り合い、
彼の指導と援助でついに
「電胎法母型による活字鋳造」に成功する。
神奈川県令今井関盛良はこの話を小耳にはさみ、
さっそく昌造の印刷で「横浜毎日新聞」を刊行。
そのすばらしい出来栄えを、
知人の大阪の実業家五代友厚にみせびらかす。
西洋通で知られた友厚は、
かねがね英和辞書を刊行したいと思っていたので
北久太郎町に「大阪活版所」を設立、
「辞書は印刷技術だけではない。
語学に堪能な貴殿なら適任だ」と、
昌造のプライドをくすぐって勧誘、
資金五千円也を提供した。
昌造が大阪の活版事業に大きく貢献するもとになる。
これが「薩摩辞書(別称・南海事典)」である。
薩摩辞書は明治期の西洋文化の吸収に、
多大な貢献をした。
活字印刷の重要性が改めて認識される。
古美術崎陽HP
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