本木昌造関連補足
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活版印刷に使われる活字の話~その1
膨大な数になる日本語を活字で印字しようとしたのは
16世紀イエズス会がグーテンベルク系の印刷機を持ち込み、
教育や伝道に用いる書物を印刷した
キリシタン版と呼ばれるものに始まる。
しかしこれは定着することはなかった。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した際、文禄2年(1593)に
朝鮮の金属活字を日本に持ち込み、
後陽成天皇に献上するも
日本において普及することはなかった。
しかし、木活字本などの印行を活発にし、
古活字版と呼ばれる書物が印行され、
出版文化の基礎を築いた。
慶長勅版(慶長2~4年)、
伏見版(慶長6~11年)が木活字で作られた。
伏見版で使われた木活字の一部が、
開版の地であった円光寺に今もって保存されている。
古活字版は市場に対応できず、
整版に譲って、印行部数も少なく
写本と同じ扱いであった。
キリシタン版及び嵯峨版は、
連綿させた複数の字で一つの活字のブロックを作ったもの
(連綿活字)を多用しているが、
それ以降は散見されるのみであった。
古美術崎陽HP