古美術 崎陽

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幕末の長崎で活躍した人~本木昌造

2009-12-07 12:24:40 | 長崎の歴史

本木昌造関連補足

(3)

活版印刷に使われる活字の話~その1


膨大な数になる日本語を活字で印字しようとしたのは

16世紀イエズス会がグーテンベルク系の印刷機を持ち込み、

教育や伝道に用いる書物を印刷した

キリシタン版と呼ばれるものに始まる。

しかしこれは定着することはなかった。

豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した際、文禄2年(1593)に

朝鮮の金属活字を日本に持ち込み、

後陽成天皇に献上するも

日本において普及することはなかった。

しかし、木活字本などの印行を活発にし、

古活字版と呼ばれる書物が印行され、

出版文化の基礎を築いた。

慶長勅版(慶長2~4年)、

伏見版(慶長6~11年)が木活字で作られた。

伏見版で使われた木活字の一部が、

開版の地であった円光寺に今もって保存されている。

古活字版は市場に対応できず、

整版に譲って、印行部数も少なく

写本と同じ扱いであった。

キリシタン版及び嵯峨版は、

連綿させた複数の字で一つの活字のブロックを作ったもの

(連綿活字)を多用しているが、

それ以降は散見されるのみであった。




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