本木昌造関連補足
(6)
活版印刷に使われる活字の話~その4
本木昌造は、
欧文活字をわずかに鋳造するのに成功したのみで
日本語活字はできていなかった。
そこで、フルベッキの紹介にあずかり、
当時上海にいたウィリアム・ギャンブル
(日本ではガンブルと表記されることが多い)を招聘し、
文字の細部まで高い再現性を持つ
電胎母型法などを教授された。
初期の本木らの活字は
美華書館の明朝体活字を
そのまま複製したものに過ぎなかった。
本木らのグループは、
日本語を印行するために仮名文字を整備し、
やがて築地活版製造所をつくり活字市場を覇す。
その後、築地活版の活字を購入し、
そこから自らの活字にしていく動きが出た。
その主たるものが秀英舎(現在の大日本印刷)の活字であり、
これは築地体と並んで
金属活字の二大源流と呼ばれるようになっていく。
古美術崎陽HP
(6)
活版印刷に使われる活字の話~その4
本木昌造は、
欧文活字をわずかに鋳造するのに成功したのみで
日本語活字はできていなかった。
そこで、フルベッキの紹介にあずかり、
当時上海にいたウィリアム・ギャンブル
(日本ではガンブルと表記されることが多い)を招聘し、
文字の細部まで高い再現性を持つ
電胎母型法などを教授された。
初期の本木らの活字は
美華書館の明朝体活字を
そのまま複製したものに過ぎなかった。
本木らのグループは、
日本語を印行するために仮名文字を整備し、
やがて築地活版製造所をつくり活字市場を覇す。
その後、築地活版の活字を購入し、
そこから自らの活字にしていく動きが出た。
その主たるものが秀英舎(現在の大日本印刷)の活字であり、
これは築地体と並んで
金属活字の二大源流と呼ばれるようになっていく。
古美術崎陽HP