
『河津伊豆守祐邦』~8
河津は、奉行所引越しの騒ぎに町民の眼を向けさせ、
その間に密かに支度をし、
身辺の品を港内に停泊中のイギリス船に運び、
ついで守衛の村尾氏次という者1人を伴って西役所から出て、
イギリス船に乗り込んだ。
その時彼は、洋服に靴を履き、
ピストルをズボンに隠し持っていたという。
慶応4年1月14日夜11時頃のことであった。
そして、翌15日早朝、その船で長崎を脱出した。
河津が長崎を去った後、
当時長崎にいた各藩藩士や長崎の地役人達が協議し、
政府から責任者が派遣されるまで
諸事を行なうための協議体を作り、
長崎会議所と称して、
長崎奉行所西役所をその役所とした。
また、長崎奉行支配組頭の中台信太郎が
長崎奉行並に昇任し、
奉行所の残務整理をした。
同年2月23日に中台はその役を免ぜられ
長崎奉行所はその役目を終えた。

古美術崎陽
長崎の歴史
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます