
■ついに日露が開戦
二月八日に外交交渉を進めていた外務省から
「妥結の望み絶ゆ」の声明が出されると、
県内の新聞は号外で伝え、
県民に戦時下に向けた決意を促し、
ロシアとの開戦に備えた。
日露戦争開戦の報道はもちろん重大ニュースとして

各紙が報じたが、県内の新聞では「東洋日の出新聞」
以外に保存紙がなく、詳細は不明だが、同紙によれば、
日露開戦を報じる紙面は同年二月十一日付から始まり、

四月下旬になると日本軍の勝利が続き、
五月には戦勝を祝う「提灯行列」が催された。
「参加市民一万二千人、見物客五万人の行列風景」
が二ページにわたって報じられた。

徳川 大樹
長崎の歴史
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