『町年寄』~21
~長崎奉行との関わり~9
町年寄達は祖先が
長崎の町を発展させてきた貿易商人や浪人であり、
町年寄や乙名など上層町人には
長崎は他の城下町と違い自らの力で作り上げた町
という意識が強かった。
長崎における町年寄の権勢は強く、
幕末に長崎を訪れた川路聖謨は
「町年寄共の宅前を通るに大名の如し、大に驚く」
と語った。
一方で、長崎奉行以下の幕府役人や、
長崎警備のために駐留する佐賀藩・福岡藩の藩兵、
西日本諸藩から送られてくる「聞役」と呼ばれる藩士達など、
長崎には多くの武士が居住していた。
しかし、幕府の機構上は
武士は自分達より上位であるが、
長崎が自分達の町であるという町年寄達の自負は
非常に強いものであり、
これが後に長崎喧嘩とも呼ばれる
深堀事件の原因の1つでもあった。
古美術崎陽
長崎の歴史
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます