古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

『長崎奉行』~3

2013-06-16 06:05:15 | 長崎の歴史
当初定員は1名で、南蛮船が入港し

現地事務が繁忙期となる前(6月頃)に来崎し、

南蛮船が帰帆後(10月頃)に江戸へ

帰府するという慣習であった。

しかし、島原の乱後は

有事の際に九州の諸大名の指揮を執るため

寛永15年(1638)以降は

必ず1人は常駐する事になった。

寛永10年(1633)2月に2人制となり、

貞享3年(1686)には3人制、

ついで元禄12年(1699)には4人制、

正徳3年(1713)には3人制と定員が変遷し、

享保期(1716~1736)以降は概ね2人制で定着する。

天保14年(1843)には1人制となったが、

弘化2年(1845)からは2人制に戻った。

定員2名の内、1年交代で江戸と長崎に詰め、

毎年8月から9月頃、交替した。

また、延享3年(1746)以降の一時期は

勘定奉行が兼任した。


   古美術崎陽

     長崎の歴史