(15)
シーボルトの弟子
「二宮敬作」~1
二宮 敬作(にのみや けいさく)
文化元年(1804)~文久2年(1862)
号は如山(じょざん)
江戸時代末期の蘭学者・医学者
特に医学・薬草の研究に優れた業績を残した。
日本初の女医(産科医)となった
シーボルトの娘・楠本イネを養育したことでも知られる。
文化元年(1804)伊予国宇和郡磯崎浦に生まれる。
生家は酒などの商いもする半農半商の家で
父は六弥、母はシゲ
文政2年(1819)16歳で医師を志し長崎に留学。
通詞吉雄権之助や美馬順三に師事し、
蘭語・蘭方医学を学んだ後
文政6年(1823)シーボルトの門弟となり鳴滝塾で学ぶ。
この時20歳。
同門に、高野長英や江戸の奥医師伊東玄朴や
戸塚静海らがいた。
門下生中最も信頼されていたと伝わる。
古美術崎陽HP
シーボルトの弟子
「二宮敬作」~1
二宮 敬作(にのみや けいさく)
文化元年(1804)~文久2年(1862)
号は如山(じょざん)
江戸時代末期の蘭学者・医学者
特に医学・薬草の研究に優れた業績を残した。
日本初の女医(産科医)となった
シーボルトの娘・楠本イネを養育したことでも知られる。
文化元年(1804)伊予国宇和郡磯崎浦に生まれる。
生家は酒などの商いもする半農半商の家で
父は六弥、母はシゲ
文政2年(1819)16歳で医師を志し長崎に留学。
通詞吉雄権之助や美馬順三に師事し、
蘭語・蘭方医学を学んだ後
文政6年(1823)シーボルトの門弟となり鳴滝塾で学ぶ。
この時20歳。
同門に、高野長英や江戸の奥医師伊東玄朴や
戸塚静海らがいた。
門下生中最も信頼されていたと伝わる。
古美術崎陽HP