落し文
当ブログで「鷹8月号小川軽舟を読む」(7月26日)を掲載しましたが誤りを犯していた。それは次の句である。
人馬見ぬ山道探し落し文
●甲虫目オトシブミ科の昆虫の総称。クヌギ・ナラなどの葉を巻いて巻物の書状に似た巣を作り、卵を産みつける。その後、切って地上に落とすものや、そのままとするものがある。これが「落し文」という季語です。
○「人馬見ぬ山道探し」というのは、意味はわかりますがどういう状況なのかな。
●そこに引っかかりましたね(笑)「人馬見ぬ山道探し」、ぼくは一読してわからなくてそうとう考えました。「探し」の主語は「落し文」じゃないでしょうか、擬人法。これにはついていけません。
○ああ、なるほど、そうかも知れませんね。しかし、そうだとすると「落し文」という言葉から連想される伝達的な要素が活かせないような気がしちゃいますが、どうなのかな。
句を引用するとき「探」と「深」を見間違えていた。ゆうべ相方の山野月読から指摘されてもしばらく何が間違いかわからなかった。
この句は、正しくは、
人馬見ぬ山道深し落し文
である。「山道探し」と思い込んだから強引な擬人化だと思ってしまった。やり直すとともに約1週間句を間違ったまま放置したことを小川軽舟先生にお詫びしたい。
*************************************************************
人馬見ぬ山道深し落し文
○「落し文」は、昆虫の方ではなく、その創造物の方で、それが落ちていたのでしょう。そう仮定すると、人の往来のなさそうなこんな「山道」だというのに的な詠嘆を感じさせ、なんとも古典的な味わいです。
●「人を見ぬ」というのが通常ですが馬を加えて「山道深し」の情趣を濃くしています。このへんの芸が濃やかなのです。