残念ながら撮影禁止であった
きのう一橋大学の「一橋祭」で、元中日ドラゴンズのエース投手であった山本昌さんの講演会が催された。
題して「継続する心」。
1984年に日本大学藤沢高校からドラフト5位で入団するも3年目まで一軍で1勝もできなかった。4年目のキャンプで1回に滅多打ちされて降板したとき星野監督から「死ぬまで走ってこい」と言われて日没まで3時間走った。
夕方マネージャーから監督が呼んでいると言われたとき殴られるだろうと思い、自分で顔を叩いてそれに備えたというところで聴衆の笑いが起こった。
しかし星野監督は優しく「野球を続けたいか」と言うので頷くと、アメリカへ行きを促された。
メジャーの4軍で勉強して来いということであった。
転機をいかに生かすかということが山本さんの話の眼目であり、アメリカで出会ったコーチから「ストライクを投げよ」といった馬鹿馬鹿しいほどの基礎を叩きこまれる。新球を覚えろという指示もあり、たまたま一緒になった内野手がすごい変化球を投げたのを見て投げ方を習ったという。その内野手はどの投手よりも教え方が上手だった。
これが大きな転機となった。その夏の8月、星野監督から帰れと言われ、嫌だったが帰って一軍登板して勝利、5勝0敗で優勝に貢献する。
「転機を生かす」といことのほかに「緊張感をどうするか」という話はリアリティがあった。
登板する日ははたの人がわかるほど緊張が顔に出たという。「楽に生きましょうよ」と言われてそうしたら滅多打ちされた。やはり緊張感はあったほうがいいのではないか、あるていどの緊張は必要でそれがあるから練習で128キロしか出ないストレートが140キロまで出るということを悟った。緊張と上手に付き合うことであり、そのために準備をしっかりすることである。
講演のあと質疑応答の時間があった。
「尊敬する人は誰です」などという質問は無味乾燥であるが、「速い球を投げるにはどうしたらいいですか」はよかった。投手にはそれに関したことを訊くのがよく、山本さんは壇上で腕の振りをして見せてくれた。すなわち、親指を下にして腕を振り上げることで肩甲骨が開く、それが大事だという具体的な内容にはっとした。
ぼくは7回手を挙げたが指名されず残念であった。
ぼくが指されたたら「巨人ファンのぼくは山本さんが嫌いでした。なんであんなに遅い球を打てないのかいつもイライラしていました」という挨拶をして、対戦したくない打者を2人挙げるとしたら誰ですか、1人は打たれたから嫌だった打者、もう1人はそう打たれた記憶がないのに嫌だった打者、そしてその理由は?
というものである。
質問者ももっとエンターテイナーになって場を盛り上げるべきだと思った。
講演会場の兼松講堂