天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

安田純平氏は必要である

2018-11-09 03:19:02 | 政治

安田純平氏


船戸与一の『満洲国演義』では関東軍の無軌道ぶりが鮮やかに描かれている。作者は敷島家4兄弟を視点に話を展開していて、長男・太郎が奉天総領事館員(外務省の出先機関)、三郎が関東軍兵士である。
『満洲国演義2 事変の夜』における圧巻は柳条溝事件(正しくは柳条湖事件)を起こした関東軍に対して国民政府が挑発に乗るまいと反撃行動を自重する。
そのことを太郎は霞が関の外務省に盛んに打電する。そこへ三郎が来て「敷島参事官殿」と他人行儀な物言いで実情を知らせないでほしいと銃を出して恫喝する。この件に関しては兄でも弟でもないとする関東軍の意気がすさまじい。
小説だからこういった見せ場をつくることができるのだが、それを考慮しても、あり得そうなことであり引き込まれた。


満洲事変、太平洋戦争と軍部の横暴が語られるが、軍部といってもその中はいろんな意見が多々あって統一がとれていない。陸軍と海軍ではまるで別の生物のようにまとまっていないし、反目する。
内地の軍部と出っ張った関東軍との間でも意識のずれはそうとうある。その中で統帥権の干犯が関東軍によって行われた。
ぼくは奉天の外務省と関東軍はそうとう共同して満洲国建設に突き進んだのかと思っていたがそれはまったく違っていた。奉天総領事館は漢人、満人、朝鮮人等の情報を得たり監督するよりむしろ関東軍の動きを監視するほうが主な仕事というふうに船戸与一は描いている。

張作霖爆殺事件では情報が伝わらない事情、隠されている事情が丹念に描かれる。
戦闘行為や動乱で真実が隠蔽される事態を船戸はビビッドに伝える。そして史実は「勝てば官軍」で権力側は自に都合のいいようなストーリーを作ってしまう。それが古今東西ずっと行われてきている。
「南京大虐殺」が顕著な例で、扱う人の立場によって死者の数の桁が違うのは異常である。それはそんなに昔のことでもないのに。

それはきちんと報道する人がそこにいなかったせいであろう。
当事者とかかわりのない第三者の目で事態をニュートラルに描く人が絶対必要である。
最近テロ組織の3年あまりの拘束から解き放たれて帰国した安田純平氏の記者会見を聞いた。
社会人として礼儀もあり記者として知力、体力、胆力と備えた一級のジャーナリストと感じた。彼のように命を賭して危険地帯を見る人がいないと歴史は勝った者たちのストーリーとなってしまう。それでは世界は闇である。

通信社、新聞社など会社組織の情報は手ぬるい。銃弾飛び交うスポットにいないと得られない情報が貴重である。けれど兵士でないふつうの人は死ぬようなところへは行かない。政府が渡航禁止する地域へ行ってくれる奇特なジャーナリストが世界の闇に一条の光を放つ。
船戸与一を読んでいて安田純平氏は絶対必要であるとあらためて思った。
コメント (2)
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