天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹12月号小川軽舟を読む

2018-11-22 16:19:42 | 俳句


唐黍食ふ八重歯こぼれんばかりなり
唐黍を食うと必ず食いこぼれる。口のまわりに粒粒がついている。八重歯が目立つ。これも「こぼれんばかり」としたところに言葉の妙味がある。


鉄道最高地点に銀河仰ぎけり
JRの路線の中で標高の一番高いところは、野辺山駅と清里駅の間の、旧国道と交差する踏切付近で1375mである。最寄りの野辺山駅は標高1346m。
このへんは四季を通じて爽快である。きわめてシンプルな句であり句意が明瞭。


モーテルに夜風と浮塵子入り来たる
今月の主宰作品は作りがどれも簡素でよく見せようとする思惑を感じない。この句もシンプル。水田近くのドライブがてらちょっと立ち寄った場面を切り取っている。


建築見て建築学ぶ秋高し
東京都庁舎をすぐ思ったがトランプタワーでもどこでもいい。高層建築物を想像するのは季語の威力のためか。


ニュータウンの小さき葬式月静か
これもか書き方が簡素で書いてある以上のふくみがあるわけではない。文字の通りであり付け足すことはない。


瞠る人耳澄ます人小鳥来る
瞠る対象は小鳥であるし耳澄ます対象も小鳥である。すなわち小鳥の一物俳句。視覚と聴覚の両面から迫るのは作者の自家薬籠中の技である。


角伐や早鐘のごと勢子迫る
この句を読んではじめて作者の意気込みを感じる。すなわち「早鐘のごと」なる比喩である。ここには一句をおもしろくしようとする作者の野心が込められている。早鐘は心臓の鼓動にも通じ勢子たちの勢いをよく伝えている。
作者はまだ60歳にいたっていないのだからこのくらい気負ってもらってもいいように思う。


栗ゆでて松風いよよみどりなり
台所の窓越しに松があり風が吹いている。手元で栗をゆでている。茶褐色が鮮やか。巧まない色の取合せは俗気が少なく枯淡の味わい。


菊を吹く風鏡台につきあたる
これも前の句の似た風合いの作りで、庭に菊を作っていて開いた室内からそれを見ている。菊を経てきた風が鏡台へ来るということである。
何度もいうが今月の主宰の句は総じて脂を抜いている。もともと脂ぎった人ではないがさらに素朴になったように思う。夏を経て主宰の中で何かが変わったように思う。それは何か……注視していきたい。


かりがねや工場減りし尼崎
湘子が提唱した型・その一にぴったりあてはめた句である。小生は坂東にいて関西の事情はほとんど知らないから、ああそうなんだと思う。素朴、簡素はいいのであるが「工場減りし尼崎」に「かりがね」をつけるのはかなり類型的ではなかろうか。鷹へ入って5年くらいの人がこの句を書くのであれば了承するが、鷹主宰となればここの12句へ入れるにしては平凡ではないか。
やはり主宰の心中に何かが起きている感じがしてならぬ。


仏壇の青き葡萄に燭ともす
青葡萄とややオレンジみを帯びた蝋燭の光、素朴である。


深秋や見交して笑むジャズ奏者
これも素朴で悪くはないが鷹集3句級の句のような気がしてならない。小生がひこばえ句会で見たら「きちんとできていていいですね」と評するが、もうすこし揺り返すの後味のようなものを求める。
うーん、主宰は夏を経て変わったように思う。基礎代謝量が減っていると見るのは失礼であろうか。注視したい。



写真:大国魂神社境内
コメント (1)
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