きのうの中央例会、小生の句は序盤の一般選で1点も入らなかった。冬の夕暮、雨が降ってきた気分であった。
月光集同人選になって春眠子さんが、
馬券踏み行き交ふ靴や日短
を採ってくださった。雨降りの中、街灯が一つ点った気がした。次いで日光集同人選でまやさんが別の一句、
地下道の黒き塊毛布着て
を採ってくださった。世の中捨てたものじゃないな、まやさんの講評が聴けるのなら主宰選に入らなくてもいいくらいに思った。まやさんに褒められていると背中に翼が生えて飛んで行く気分なのだ。
主宰は「地下道」の句をお採りになった。まや選と主宰選に入ればいうことなし、ハッピーハッピーと思っていると、主宰は奨励賞として「馬券踏み」を読むではないか。感激したというより虚を突かれた。
街灯一つ点ったどころかミラーボールが100個ほどぼくのまわりで回っている気分になってしまった。
馬券の句に対して春眠子さんが、「馬券を散らす句はたくさんあるが靴をクローズアップさせたのが腕、新しい見方」とおっしゃった。主宰もほぼ同じ意見で「景の切り取り方の参考にしてほしいと思って奨励賞にしました。靴だけに絞った映画的手法のよさ」というようなことをおっしゃった。
本人にそう工夫した意識はない。去年の今ごろ東京競馬場吟行をした。そのとき目の前5メートルあたりを見て言葉にしただけである。季語もすんなりつきほとんど苦労していない。
一緒した木村定生氏が採らなかったことが悔しくて、「そんなにひどい句かよ」という鬱憤はあった。江戸の敵を長崎で討った気分であった。
まやさんの「地下道」へのコメントはやはりすばらしかった。
現代的な句だと思います。新宿などの地下道にいるホームレスの人。毛布が冬の季語としてこんなに切実だということをこれほど訴える句はないのでは。心に突き刺さるものを感じました。
というようなことを述べた。まやさんは選ぶ言葉の一つ一つの巧みであるほか、語る抑揚やリズム感、情感がすばらしく、作者を天に昇る気分にしてくれるのだ。
主宰は「黒き塊と突き放したのがいい。両方とも迫力がある」とまとめてくださった。
鷹12月号の同人1句に小生は
牡丹餅を食ひボーナスを懐かしむ
を載せた。定年後の年金生活は牡丹餅がボーナスに感じられるのである。
俳句のある小集団で親分や姉御から褒められて、それをミラーボールがいっぱい回って光ってくれたと感じる、この酔狂は牡丹餅やボーナスくらい大事なのである。
被写体:近所の民家