天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

妻のための正しい干柿

2018-11-19 16:24:43 | 身辺雑記

60年前、祖母が作って食べていたものであるが歯が丈夫であったなあ

10月から干してきた柿を一人食っている。皮つきで硬いやつだが噛みはじめると滋味があってやみつきになる。
人から瀟洒な菓子をいただくが柿のほうが栄養は勝るのではないか。栄養は糖分だけでなく太陽の栄養、ビタミンDが加わっているしさまざなミネラルがあるだろう。皮は繊維十分である。
しかし去年よろこんで食べた妻は歯が悪く口中の大規模工事をしている。

「皮のない干柿にして」というので下河原緑道の柿採りをした。ここの木は高いので3メートまで伸びる剪定鋏を3000円で購入。130個ほど採って剝いて80個を吊るした。へたのところの枝が取れてしまって紐を結べない柿は割って干した。これが30個ほど。残りは甘柿でナマで食っている。

干柿をつくりながらナマでも食う。そのへんが柿のおもしろさである。
ひとつの木の100個がすべて甘柿というのと全部が渋柿というのはわかりやすい。また100個のうち甘柿が10個、渋柿が90個という木はわかりやすい。多摩川河川敷の木は全部が渋柿であった。
ところが下河原緑道の柿は渋と甘がまだらである。
その木は純然たる甘柿が10個、甘柿の中に渋が混入しているのが50個、残り40個が純然たる渋柿という比率なのだ。純然たる渋柿といっても甘味が混じっているし、甘柿に渋が混入している場合の両者の入り組み方は実に多様で眺めていて飽きない。小さな地球を割って眺めているような錯覚に陥る。
甘柿の渋の部分を削り取って食べるナマは格別にうまい。


黒い点々が集まって甘い部分と黄色主体の渋の部分が入り組んだ甘・渋混合柿


柿に意思があるのならなぜこんなに複雑な模様なのか問うてみたいほどである。

甘と渋の混在はまるで一人の人間を見ているようでもある。
善と悪とが混在していて時と場合によりどちからが色濃く出たりして人間はおもしろい。それが小説のテーマになり篠田節子の『鏡の背面』のような作品になる。
そんなことを考えながら柿を吊るした。
クリスマスに食べられるようになれば金のかからぬ妻へのプレゼントになる。太陽と気温まかせである。


正しい干柿
コメント
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