天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

ぎらつく泥ひりつく泥

2022-08-11 05:53:11 | 俳句
             


写真は2019年10月13日、台風19号が過ぎたあとの多摩川である。多摩川下流が氾濫したこの台風は「東日本台風」と命名された。
是政橋付近は土手が決壊しなかったが野球場、サッカー場は水をかぶり、削られ、使用できなくなった。河川敷の中の道は泥にあふれていた。災害を喜ぶわけにはいないが泥は美しかった。
百姓のせがれにて泥は幼少から縁が深い。代掻き、田植、泥を素足で踏んで行った。きめの細かい泥を踏む感触はえもいわれぬものである。

泥濘に落暉ぎらつく信長忌
鷹2019/7月号
あのときの興奮が信長に結びついた。泥を意識するのは太陽である。

烈日にひりつく泥や沖縄忌
鷹2020/8月号
泥と信長をくっつけたとき、実は沖縄でもいけるのではと思い季語に迷った。そのとき泥で沖縄を描けると思い、1年後、沖縄を仕立てた。5月末沖縄を旅したとき川の水が流れ込んだ海が200mほど濁っていたことに驚いた。沖縄は昔も今も泥である。

             


出水後の泥に茶碗や日が昇る
讀賣俳壇2020/7.26
泥は好きな素材である。信長と沖縄を書いて泥はもう書けないかと思ったが東日本大震災後の復興支援で行った岩手県大槌町のことを思い出した。

爛爛と照る濁流や秋暑し
鷹2020/1月号
東日本台風の去った直後の多摩川である。
泥のほか濁流も好きである。暴力的なあの流れはいつまで見ていても飽きない。けれど泥に比べて言葉になりにくい。泥は動かないが濁流は動く。濁流は好きだがなかなか書き留められない。課題である。




  

       
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