天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

「俳句」7月号中原道夫を読む

2024-07-17 05:51:41 | 俳句
    十王図



中原道夫「銀化」主宰が「俳句」7月号に「閻魔」と出して発表した21句を鑑賞する。

埋め草は刈込むならひ夜の朧
「埋め草」には二つの意味がある。城を攻めるとき堀などを埋める草。それが転じて、雑誌などでできた空白を埋めるための短文。季語から見て堀を埋める草という読みをしたくなるのだが俳誌「銀化」編集のことを思わざるを得ない。夜、穴埋め用の記事を書いているのか。

醜草のしふねし根なり残しおく
「しふねし」は漢字だと「執念し」、執念深いの意。しかし現状は終止形にて「根」はかからない。なぜ「しふねき根」としなかったのか。初歩的な文法のミスではないか。下五「残しおく」を見てこれは小澤實ではないかと錯覚した。プロレスで他人の得意技を敢えて使うことを「掟破り」と言う。そんんな感じがした。

縁側の半跏に春の暮れゆける
「半跏」は「半跏趺坐」。片足を他の足の股の上に組んで座る略式の座禅法。坊さんのような風貌の作者が見えておもしろい。「半跏」には、生半可の含みがあり諧謔の味わいが染み出る。

淡竹剝くすぐに丸まる皮圧へ
確かに皮はすぐ丸まる。よくわかる句である。目が効いた内容であるりこんな素直な句を書くのかとやや戸惑う。この句も小澤實のダメ押し技法を「皮圧へ」に感じる。

養蜂の箱発つあした薄暑なる
「養蜂の箱発つあした」は気が利いた措辞。今までのなかで一番いい。季語も意外性がある。「薄暑かな」とせず「薄暑なる」としたところにも良識がある。

新茶して急須は萬古それも小振り
萬古焼きは三重県四日市市の代表的な地場産業。物に徹していて見えるのがいい。

臭水(くさうづ)か地渋ぎらつく端午かな
臭水は石油の古い呼び方。錆のように地に光っているのは石油か、と問いかけている。「臭水」「地渋」と重いものを並べて迫力があるが、季語は不意打ちを食らった感じ。違和感があるもののまったく外れている気もしない。端午というプラスのイメージにマイナス方面からの味付けはこの作者ならではのもの。

こひのぼり息継ぎふかく腰を折る
「息継ぎふかく」から「腰を折る」へ転じた巧さ。この擬人化はすんなりついていける。

著莪の花柄杓に水を均したる
「柄杓に水を均したる」は要するに、柄杓で水を汲んだのである。はじめは波打っていたのが次第に鎮まってきたさまをのこと。この巧さはホトトギス系の俳人の手練れのテクニックであり前の句の巧さと異なる。

色鯉を日傘の影に集めたる
今回発表された21句の中の一押しがこの句。日傘をさす人に(作者に)池の色鯉が集まってきたという句である。それだけのことだが「日傘の影に集めたる」で実際に見え、かつ象徴的なレベルまで高めてモノ化していて惚れ惚れする。

半身を見せまいとするがうなかな
「がうな」は「ヤドカリ」である。「半身を見せまいとする」と言うがヤドカリはそういう習性で生きている。これはおもしろくしようとする意思が先行して見えてしまっている。前の句が崇高なレベルであるだけにこれはどうでもいい句。

石磴の直登を了へ蟻走り出す
石磴(せきとう)は石段のこと。垂直に登っているとき蟻は遅かったが水平になって走った。写実である。久しぶりに読んだ中原さんに写実系の句が結構あって驚いた。これはその最たるもの。デビューしたころの話題作が「白魚のさかなたること略しけり」「飛込の途中たましひ遅れけり」などであり代表句とされている。小生はこの行き方を邪道と思い、本人に「プロレスの場外乱闘」と言ったことがある。彼はその評を喜び邪道を邁進した。何十年も経て蟻を見て作った写生系の句を見て驚いた。字余りにしてまで見ようとしている。その姿勢に本道へ帰りつつあるのを感じるが、それが加齢のせいかと思うと哀しくもある。

水を運ぶ仕事に汗を落としけり
作者の諧謔精神はここでも健在。水という涼しげな物を運んで暑くて汗を落とすのである。汗は運んでいいるバケツの水に落ちたかもしれない。

千葉市動物園
はしびろこふ巣作りの枝咥へしまま
「はしびろこふ」はペリカン目ハシビロコウ科ハシビロコウ属に分類される鳥。嘴が異様に大きい鳥ゆえ「枝咥へしまま」が効く。

出直しの利く齢なり白日傘
「出直しの利く齢なり」とは何歳か考えてしまった。また自分のことなのか一般論なのかも。その齢は人それぞれだろうが、季語は効いている。

渋団扇たたくを止めて焼きあがる
渋団扇は何かに当たるとかなり音がうるさい。何を焼いているか書いてないが美味そうである。

閻魔のみ目垢つきけり十王図
十王は、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格。それを描いたのが十王図である。「閻魔参」に来て作者は十王図を見たのか。閻魔の目垢に着目するとは作句らしい。

としよりのうだる朝湯や吊忍
「としよりのうだる朝湯」、リアルでよい。「としより」は作者のことか。風呂から上がり吊忍を見て涼んでいる。ここへ「吊忍」を置いたのはさすが。

むつくりと起きて冷麦すすり出す
書いてないが暑くてばてている人を思う。「むつくりと起きて」が「冷麦すすり出す」をいきいきとさせている。

とちりの席埋まり扇子を忙しなく
「とちりの席」とは歌舞伎通に人気の一等席。前の列から「い、ろ、は、に、ほ、へ、と、ち、り…」で数えていたので「と、ち、り」は、前から7、8、9列目にあたる。ここからは、舞台が全体的に見渡せて、さらに役者の表情もよく見えるという理由で人気があるらしい。この句は「とちりの席」でできた句。

初学の頃「鷹」にこの人、酒井鱒吉ありと藤田湘子より
鱒吉の名の浮かぶなり真炎天
酒井鱒吉は「鷹」の創刊同人。「衣被だらだら酒となりにり」「柊の花とうさんといふ言葉」などある。しかし30年も前のことを前書まで付けて出す理由がわからない。また「真炎天」なる季語も気に入らない。「大西日」「大南風」のように季語をことさら拡大させようとするのはいかがなものか。そう湘子に言われなかったか。
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