自分の義を、見られるために人の前で行なわないように、注意しなさい。マタイによる福音書6章1節
義とは正しい行為であります。それを人の前で行ってはならない、というのではありません。
「見られるために」行ってはならない、というのです。
そもそも人の評価を求めるための行為は、正しい行為にはならないのです。
神にささげられる行為が正しい行為なのであります。
人がどう評価しようと。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
自分の義を、見られるために人の前で行なわないように、注意しなさい。マタイによる福音書6章1節
義とは正しい行為であります。それを人の前で行ってはならない、というのではありません。
「見られるために」行ってはならない、というのです。
そもそも人の評価を求めるための行為は、正しい行為にはならないのです。
神にささげられる行為が正しい行為なのであります。
人がどう評価しようと。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
しかし、わたしたちを愛してくださったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。ローマ8:37
私はかつて、落下傘部隊の兵士に尋ねたことがあります。
「あなたが、初めてパラシュートをつけて飛行機から飛び降りたとき、どんな感じがしましたか?」
彼は言いました「『このパラシュートはちゃんと働く、ちゃんと作動するんだ!』という思いだけでした。」
イエスと共に行く生涯にとって、これは何を意味するでしょうか。私は自分の経験から申し上げます。
「神さまは、ちゃんと働かれます。働かれるのです!」
主よ、ありがとうございます。
私たちが他の人々に「神さまは働かれます」と言うことができるとは、なんという喜びでしょう。ハレルヤ!
コーリー・テン・ブーム著 「日ごと新たに」より
急いで得た富は減る、
少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。箴言13章11節
たまたま運よく手に入れた富は身につかないものであります。
こつこつと努力して、汗を流して得たものが自分のものになるのであります。
一挙に成長する信仰はありません。
日毎の祈りのつみかさねの中で、信仰は深められてゆくのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
風を警戒する者は種をまかない、
雲を観測する者は刈ることをしない。伝道の書11章4節
風向きが悪いから見合わせる、雲行きがあやしいからやめておく――――そうやって慎重すぎる人はチャンスを失ってしまうのです。
状況が理想通りになる時などありません。神を信じて思い切る決断なしにいかなる善もできません。
「時が良くても悪くても」(テモテへの第二の手紙4章2節)
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。マタイによる福音書5章4節
苦しみの意味がわからない――――ということが悲しみであります。
そんなものをいっぱいかかえて人は生きています。
しかし春になって雪がとけるように、それがなんであったか、はっきりわかるときがきます。
そのとき悲しみの深さは、そっくり慰めの大きさになるのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。ローマ人への手紙12章3節
わたしたちの賜物は神によって「分け」与えられたものであります。
ひとりが全てを持っているわけではありません。
神がそれぞれの肢体にふさわしい賜物を与えてくださっているのです。
わたしの賜物は、兄弟の賜物と、結び合わされることによってだけ生きるのです。
そのことを知る謙遜が「慎み深い」ということであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。詩篇5篇3節
担わなければならない、多くの、わずらわしい問題に向けて起き上がるのではありません。
わたしたちを待つ父なる神に向けて目をさますのであります。
朝ごとに待たれているということは、なんという喜びでしょう。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
あなたには、やみも暗くはなく、
夜も昼のように輝きます。詩篇139篇12節
夢であってくれたらいい、と思う暗い日が人間にはあります。
しかし人間にとってどんなに暗い日も、神にとっては暗くはない、というのであります。
神の摂理の中では、ふかい意味の与えられた日であり、神の光の届いている日なのであります。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
わたしを導いて
わたしの及びがたいほどの高い岩に
のぼらせてください。詩篇61篇2節
「高い岩」は大きな困難、試練を意味しています。
それは行く手をさまたげるものとして、目の前にそびえ立っています。
自力で越えることはできません。神に越えさせていただのであります。
行く手をふさぐと見えた岩の高さはそのまま神の恵みの高さになるのです。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
わたしは知恵をもってこのすべての事を試みて、「わたしは知者となろう」と言ったが、遠く及ばなかった。
物事の理は遠く、また、はなはだ深い。伝道の書7章23、24節
山に登る苦しみと喜びとは登った人でなければわかりません。
物事の理も頭で理解できるものではありません。
実際にこの身をもって汗して生きてみなければ、この生にかくされている神の真実にふれることはできません。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より
悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。詩篇37篇1節
ここで「心を悩ます」というのは、うらやんだり、怒ったりすることであります。
人は悪を行う者に対し、怒りすぎて足をすくわれるのであります。
こだわりつづけるより、自分のなすべき善を行うこと。
悪にいら立って悪を克服することは出来ません。
小島誠志著 「愛に根ざして生きる・聖句断想2」より