人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

心に天使の面と悪魔の面がある

2015年04月16日 | お気に入りの言葉

世界に朝の面と夜の面があるのは
よく分っています
真夏の面と真冬の面があるのも
よく分っています
しもべの心に天使の面と悪魔の面があるのも
よく分っています
主イエスさま
信仰によって悪魔の面を打ち砕いて下さい

今あなたは微笑んでいますか 河野進詩集より


取越し苦労、人生先が分らない

2015年04月13日 | お気に入りの言葉

希望

昨日も今日も豪雨が降っている
明日もまたひどい雨が降り続くのではないか取越し苦労をする
昨日一昨日に引きづられてそう思い勝ちである
ところがその日になって見ると
うそのような晴天である
苦難もまた同じような道をたどるではないか
だから人生も先が分らないから
信仰による希望に生きよう

今あなたは微笑んでいますか 河野進詩集より

 

 

 


空であって、風を捕えるようである。

2015年04月09日 | 日記

  昨日の聖書の言葉には、続きがある。
旧約聖書(伝道者の書4:4)
わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
「ねたみ、競争心を燃やし、そして労苦し成功する。このような人間の姿を見て、「空しいことである」と言っている。
勝ち負けにこだわり、一喜一憂している姿は、むなしいと言えるかも知れない。

 

 


ねたみ心は、良いもの?

2015年04月08日 | 日記

 相変わらず、ネット碁とソフトバレーに夢中。
どちらも負ければ悔しいし、勝てば嬉しい。
したがって勝てるように日々努力している。
悔しさ、負けず嫌いの気持ちが、この努力の原動力になっていると思う。
何事においても、負けて悔し涙を流すような人が、世の中では大成している。負けて笑っているようでは、大成しない。
聖書には、次のような言葉がある。
旧約聖書(伝道者の書4:4)色々な訳があり三つほどあげると
①物事を成功させる原動力は、ねたみであることを知りました。
②あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。
③人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。
古い訳は、「ねたみ」最近の訳は「競争心」となっているが「ねたみ」方が考えさせられる。
こうしてみると、成功している人は「ねたみ心」の大きい人と言えるかもしれない。
私が、成功しなかったのは、「ねたみ心」が少なかったからかもしれない。
こんなことを考えて、変に自分を慰めている。
こう言う私も、成功している人への「ねたみ心」から、こんなことを考えているかもしれない。


四季

2015年04月07日 | お気に入りの言葉

冬の次に春が来る
春の次に夏が来る
夏の次に秋が来る
秋の次に冬が来る
一年中冬だけの国があり
一年中夏だけの国がある
日本には温和な四季がある
何かなくても感謝しよう

今あなたは微笑んでいますか 河野進詩集より


毎日を終末の日として

2015年04月06日 | お気に入りの言葉

神さま
私はいつか
死ぬのだということはわかっています
しかし すぐにくることではないと
思って まだあれこれと したいこと
しなければならないことを考えています
死ぬことはずっとさきのこと
いつかやってくることと思っています
確かな死を宣告された人たちの
その死に至までの生活の記録を
よむ時に 感動します
でも それは人のことであって
ほんとうに私のことにならないのです
夜の眠りにつくとき
そのまま 朝を再びみることがなくても
神のみ手に安らかに委ねて
きょうまで生きてきたことを感謝して
眠れる生活が私にないのです
毎日 毎日を 終末の日として
朝 再び生きることを許された恵みを
感謝して生きる心をください
いつまでも 自分の心をごまかして
生きている私に きょう いま
せいいっぱい行きぬく信仰をください

石井錦一著 「信じられない日の祈り」より


色々な人との出会い

2015年04月04日 | 日記

  昨日、ソフトバレーの新しいサークルに参加。
赤碕勤労者体育センターで、20時から22時まで楽しむ。
これで4サークルに所属することになる。
このサークルには、同じ(きらり団地)の人もおられてびっくり。ソフトバレーも楽しいが、色々な人との出会いも楽しい。


私のふさわしい死の日を

2015年04月01日 | お気に入りの言葉

神さま 
病気や 突然の事故に出会った時に
死の不安と恐怖におののいて
まだ死ねない 死にたくないという
思いを感じてとまどいます
いつになったら 神さま 私は
安らかに思い残すことなく死ねますと
祈ることができるのでしょうか
もし人間が死ぬことができなくなったらと
考えてみると 死の可能性のないことは
これ以上恐ろしいものはないほどの
拷問ではないでしょうか
死を運命づけられていることに
すべてに終わりがあることに
どれほど深い意味があるのかわかりました
同世代の人たちの死の知らせきいて
自分にもいつかその時がくると知った時
何かの仕事する時や 約束をする時に
「もし生きていたら・・・・・」とすなおに
ほんとうに言えるようになりました
もし ほんとうに 明日も 一年後も
生きていられればと思う時
きょう 神さまに生かされている恵みが
よくわかるようになりました
私にもっともふさわしい死の日を
与えてくださいと 祈れるようになりました

石井錦一著 「信じられない日の祈り」より