かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
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お墓調査 その14:墓石よ永遠に

2011-11-13 09:00:00 | 田舎の歴史
自分の興味だけで、調査と称して地区の共同墓地の他人様の墓を勝手に見てきた。
当然それぞれの家の皆さんがご先祖様の供養に参られるわけだけれど、
そんな中、草木に囲まれてそこに墓石があることさえ忘れられているような墓地や、
当地区から出て行かれて墓を改葬され、竿石が撤去、あるいは横倒しにされた墓もある。
長い間草木に覆われて静かでいた墓石などは、うるさい奴がやって来たと 迷惑だったかもしれない。
しかも私に草木を切られ、墓石が露わになってしまった。


【伐採前】


【伐採後】


【伐採前】


【伐採後】

長い間草木に覆われていた墓は、えてして保存状態がよく、刻まれた文字がくっきり残っている。
しかし、私が草木を伐採したことで、今後しばらくはもろに風雨にさらされることになる。
それを思うと、罪なことをしたようにも思える。

そんな迷える自分を、せっかく建っている墓だから、太陽の光を浴び、地元の人の目にも触れた方がいいのではなかろうか、と勝手に正当化してみようかなと思ってはいる。
この墓石もそんなふうに草に埋もれていたものだ。


文字がくっきりしている。
戒名がなく、俗名が刻まれている。
ところで、この俗名は もしかすると・・・
享年が記されていないので確かなことは言えないが、亡くなったのは宝暦7年(1757)とある。
5代将軍徳川綱吉が かの悪法『生類憐みの令』を発令したのは1685年(廃止は1709年)。
ということで、このお方が50~70歳でお亡くなりになったのであれば、『生類憐みの令』の時代に生まれたことになり、そんな時代背景からこの名前が付けられたのかもしれない。

という話はおいとくとして、草木に埋もれていたこれらの墓石は、この先このまま誰もお参りする子孫がいなければ、再び草木に覆われることになるのだろう。
もう一度眠りにつくのか。

そんなふうに、もう誰もお参りすることのない墓地(跡地)から、念願の3名連記の夫婦墓を見つけた。
ひとつめは、改葬され、竿石が横たえられた墓地である。


ところが、意に反してこの墓石は旦那さんの戒名が中央にきており、先妻さん、後妻さんの戒名がその両側にある。
これはどういうことだろう?

そしてもうひとつ、草に埋もれていた墓石でも、


旦那の戒名が真ん中にある。
聞きかじった情報とは違うではないか!
※この関連記事は ⇒ こちら 「お墓調査 その7:もう少し夫婦墓をみる」(2011年8月10日)

そんなことを思いつつも、こんな墓石もあった。


戒名ではなく、俗名での「○○夫婦」とある。
なんだか微笑ましく感じる。

最後にひとつ。


この墓石も草に埋もれていたのを見つけたのだが、その瞬間「?!」となり、
なんだか少し嬉しくなった。
「元氣信男」なのである。
古い墓石では「信男・信女」というのを時々見かけるので、
今で言う「信士」と同じで、れっきとした戒名であろう。
それが「元氣」かぁ・・・。
うーん、シンプルじゃ!
というか、和尚の手抜きとも思える。

墓石には、まだまだ分からないことがたくさんあり、興味は尽きないが、地区の共同墓地を調査して、個人的には多くの発見があり、本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
共同墓地で古くからの墓石がこんなにたくさん、しかも整然とある地域というのは、そうそうないのではなかろうか。

墓石よ 永遠に!




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