恵比寿駅を出て、山手線に乗り込んで、いつものようにipodで音楽を聴きながら、秋葉原に向かう途中だった。
山手線が大きく揺れて、悲鳴がこだました。
一瞬、何が起こったのかわからなかったが、電車はちょうど大崎駅にすべりこんだところだった。
地震だと分かり、電車の横転なども一瞬考えたが、すでに停止しておりほどなくしてドアが開いたのでほっとした。
ホームに出ると駅員のアナウンスがあり、数時間は復旧しないだろうということで、改札を出た。
このときはまだ規模が分からず、タクシーをつかまえようかどうしようかと思い、まず店に入り一息つくことにした。
スマホで情報収拾をしてみると、大変な事態が襲ったことが徐々に分かってくる。
訪問先にメールを入れて、携帯もほとんどつながらないので、バスでも拾って自宅に辿り着こうとするが、すでにバス停には長い列が・・・。
携帯の電池が乏しくなってきたので、コンビニに入ったが適合するものがない。ギャラクシーSのスマホを使っているのでだが、あいにくこの日はアダプターを自宅に置いて来た。
五反田駅まで歩き、ドコモショップを探す。
そこでようやく充電をしてもらっている間、テレビ報道を見ることになった。
とりあえず、知人の安否が知りたく、近くの居酒屋に入り、ツイッターやフェイスブックに次々と飛び込むコメントや、店の兄ちゃんやお客さんたちと情報交換をして、だんだん事の重大性を認識してくる。
とりあえず大岡山の自宅まで歩いて帰ろうと、帰宅難民のひとりとなる。
隣り合わせたOLは横浜まで歩いていくという。無理するなよ、と声をかける。
ふくらはぎを痛めながら自宅に辿り着いたが、ドアを開けるのは少し怖かった。
玄関の水槽が落下して水をぶちまけている様や、本棚がメチャメチャになって足の踏み場もない様が頭に浮かんだからだ。
幸いなことに、このあたりは地盤が強固らしく、たいした被害はなかった。
そこからはテレビにかじりついたり、インターネットで検索したりして、とにかく被害状況を把握するようにした。
東北各地から被害報告が徐々に伝えられるが、阪神大震災の時の経験からこんなものではすまないなとわかる。
石油タンカーが炎上している。津波の爪あとが一部映し出される。町の大部分が炎上している映像が飛び込んでくる。
東北地区の原子力施設のことが頭をよぎったりする。
そしてたぶん次々とSNSなどで発信されるみんなと同じように、混乱したまま長い夜が始まることになる。
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20分ほどして大分落ち着いてから車に乗って帰路に付きましたが、うちに近づくと信号が機能せず警察官が立っていました。
案の定うちの辺りは停電のエリアに入っていまして、文字通り暗くて長い夜が始まりました。
しかし、避難所の方は毎日それ以上の難儀を耐えているわけですから、これくらいでへこたれたらいけませんね。
ブログで映画の記事なんて書いていて良いのだろうか、とも思いますが、大した被害を受けなかった僕らが落ち込んでいても仕方がないので、なるべく平常通りにやることにしました。
無事な僕たちは行動は平常どおりが一番いいと思います。
ただし、この「いま」でないと考えられないことを、真剣に考えるべきだと思います。