サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

207日目「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴(東京国立近代美術館)」竹橋

2010年12月12日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ おじさん、最近の携帯カメラも含めて、すごいことになってるね。
キミオン叔父 ああ、3Dカメラも出たね。この前は、着せ替えカメラも見たよ。試着できるわけだ。
女性向けだけど、自分のポートレートを撮って、「美顔」モードで修正できるのあったよ。小顔にも出来る(笑)
連射は当たり前だし、顔認識も出来るようになった。ペットが上手に撮れるのとか、ね。
撮影情報がグーグルの地図と連動していて、自動的に歩いた軌跡や撮影スポット情報が地図に連動されて記録されるのもあったわねぇ。
モバイルデバイスも含めて、本体そのものの進化はさほどでもなくても、どんどん専用アプリを使えるようになっているしね。
TV電話機能は可能だけど、あまり使われていないのかな?
スッピンの顔や二日酔いの顔を見られたくないという気持ちはあるだろうね。
だけど、スカイプじゃないけどさ、顔を見ながら国際電話というのが普通になっていくんだろうと思うよ。
自宅や事務所の固定電話も、数年で大きくヴィジュアル電話に変わっていくと思う。世界中で何十億台のマーケットがあるしね。
そうだなぁ。携帯カメラで千数百万画素なんてことになるから逆に、ピンホールカメラや昔のインスタントカメラが懐かしがられたりするんだな。



鈴木清さんは有名な方なんでしょ?
知る人ぞ、知るというところかな。商業写真からは縁遠い人だからね。
炭鉱で育たれたのね。東京で画家やデザイナーや漫画や、とにかく筆を持ってやる仕事に夢を持って上京なさって・・・。で、写真と出会ったわけね。アサヒペンタックスで。何を撮ろうかと思っていた時に、衝撃を受けたのが土門拳の『筑豊のこどもたち』。
ご本人も炭鉱育ちだからね。子どもの頃は、好景気に沸いたりもしてただろうから、華やかな夢のような世界でもあったわけだ。炭鉱で沸き返る町には、サーカスの天幕が立てられたりして。
そこから『天幕の街』という写真集になるのね。でもこの人のほとんど自費出版だろうけど、写真集のタイトルは詩人のようね。『流れの歌』『ブラーマンの光』『夢の走り』『愚者の船』『天地戯場』『修羅の圏』『デュラスの領土』とか。
オジサンはサーカスが好きで会社の名前にもしてしまったけど、鈴木さんが採用されなかったらしいけど表紙案に書き込まれたリード文がね・・・この日常の世界もエピローグのないサーカス 街の上の舞台に仮装し、演じ、くり広げられる一人ひとりの生のスペクタクル・・・オジサンの「サーカスの日々」のブログタイトルのリードに拝借したいぐらいだよ。
撮影対象も、炭鉱、返還前の沖縄、ドサ回りの旅役者やサーカス、インド、韓国などのアジアね。焼付けもあるんでしょうけど、黒が漆黒で、その黒から光がゆらゆらと立ち現れてくる感じね。
すごいな、ほとんどはモノトーンだけど、スナップというのとも違うな、もう大地と地続きのような身体や用具を凝視している。それに水のイメージ。洗面器から思わず迸り出る水滴。これもアートの特殊撮影ではなくある意味そのまんま。
そりゃ、カメラ性能は現在のデジタルカメラの方が上だけど、違うのよね、一台の古いアサヒペンタックスにかなわない。
金子光晴とかマルグリッド・デュラスの視た世界に自分もまた入り込んでいるわけだけど、やっぱりこの人は詩人で書物の人でもあるし。一時期の地下演劇の迫力を思い起こさせるな。デザイナーの素養もあるから、自分の写真展の展示プランとか、写真集のダミー案があっただろ。そこに真骨頂があると思う。この人たぶん自分の写真家人生そのものを冷徹にエディトリアルしていたんじゃないかという気がするね。



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