サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10459「千年の祈り」★★★★★★★☆☆☆

2010年06月07日 | 座布団シネマ:さ行

世界中から注目を集める中国人女性作家イーユン・リーのデビュー短編集に収められた一編を映画化。わだかまりを抱えて離れ離れになった父娘が、本当の親子のきずなを築くようになるまでを描く。監督は『スモーク』のウェイン・ワン。父を『ロミオ・マスト・ダイ』のヘンリー・オー、娘を『ジョイ・ラック・クラブ』のフェイ・ユーが演じている。サン・セバスチャン国際映画祭で作品賞などにも輝いた、心に染み入る感動ストーリーが堪能できる。[もっと詳しく]

父と子のギャップとつながりを静かに見つめて。

子供を訪ねてアメリカにまで来て、逆に短い滞在期間の中で、自らも文化のギャップを体験する中で、子供との埋められない「距離」を理解していこうとする。
『千年の祈り』では、その父親の愛情、保守性、おせっかいといった仕草をヘンリー・オーが魅力的に演じている。
この初老のため息や哀しみやしかしその反面どこかで飄々ともして達観しているさまなどを見ていると、アン・リー監督が父親三部作としてその監督初期に発表した『推手』(91年)、『ウェディング・バンケット』(93年)、『恋人たちの食卓』(94年)を思い出したりする。
『推手』と『ウェディング・バンケット』は三部作を通じて父親役の台湾の名優ラン・シャンがアメリカにいる子どもを訪ねてくる設定だ。



この三部作でも、父と子の世代の意識の連続と断絶がテーマになっているのだが、どちらかといえば喜劇のようなつくりになっている。
『推手』では息子がコンピュータ技師、その妻は作家。父とは一つ屋根の下でぎくしゃくし、みんながストレスを感じる。父は中華街で一人住まいを始めるが、そこで見事な推手の腕を知られ、教室を開くようになる。
『ウェディング・バンケット』では息子の結婚の祝いにアメリカに来る父親家族だが、実は息子はゲイであり家族の前での偽装結婚。そのことが発覚して・・・というお話である。
台湾と中国の違いもあるし、アン・リー監督の息子からの父や故国に対する思いと、イーユン・リーという女性作家からの父や故国に対する思いの違いはある。
けれども、父親が異国で子供を思い遣る視線に関しては、共通項がある。



アン・リー監督の作品と較べると、『千年の祈り』はずいぶんリアルで深刻なお話ではある。
娘は大学図書館で司書のような仕事をしているのだろうが、もう父と離れて(アメリカに渡って)十二年の歳月が経過している。
そして娘はパートナーと別れて、一人住まいをしている。
父は、アメリカ見物がてら娘のアパートに滞在し、娘の生活を探り、励まそうとしている。
そして出来れば、故郷に戻ってきてはくれないかと、内心では思っている。
娘はすっかりアメリカナイズされた毎日の中で、父の訪問は儀式のようにつきあうだけだ。
それほど話すべき会話もない。
中華鍋を買い込んで料理を作ってくれる父に申し訳ないと思いながらも疎ましさを感じている。
父から見れば十二年会わないでいても娘は娘だ。帰りが遅くなったりすると、叱ったりする。
娘はそろそろアメリカのツアー旅行にでも参加して、帰ってくれないかと思っている。
こうした世代間ギャップは現代では見慣れたものだ。
僕だってたまに父が存命中に東京にいる僕に仕事にかこつけて尋ねてきたときなど、どこかで息が詰まりそうになって苛々とした口ぶりになってしまったことを申し訳なく思い出す。それもたった一、二泊のことなのに。



この父親は英語がほとんど出来るわけではない。
しかし片言で相手の会話はほとんど理解していないだろうが頷きながら、不思議なコミュニケーションを結んでいくことになる。
息子を自慢するイラン人の老女と公園で「会話」しながら、「自分はいい父親ではなかった」と本音を洩らしたり、元紅衛兵であることからくるのかモルモン教を布教しに来た青年たちをやり込めたり。
けれど、娘から見た記憶の中の父親はほとんど話しをしない人だったのに・・・。
そして作品の中盤以降、父と娘の話されていなかったことが明らかになる。



娘は一方的に「離婚」されたのではなく、娘のロシア人である同僚との「不倫」が原因であり、今でもその妻子もちのロシア人とは付き合っていることを話す羽目になる。
そのことを非難された娘は、父が昔、外に愛人がいてロケットのエンジン技師という経歴も嘘であることを知って恨んでいたことを暴露する。
父は助手の女性で気があった人はいたがそんな関係ではないこと、しかし「党」から非難され、技師の仕事も外され、ただ家族のために黙ってその屈辱に耐えてきたのだ、と。
部屋の壁を挟んであちらとこちら、父と娘は長年の鬱屈をぶつけあうことになる。
言葉は通じても、そのことで傷つけあうこともある。



家族と個人、伝統と革新、歳月と距離・・・そのことをウェイン・ワン監督は静かに綴っていく。
この作品はサン・セバスチャン国際映画祭で、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞、CEC最優秀作品賞の四冠に輝いた。
ラスト・シーン、二人は川べりのベンチで並んで座る。
向かい合っていなくても、それぞれが相手のことを思い遣っている。
父はアメリカ・ツアーに出かけることで、言葉や習俗に不自由さを感じるから逆に自由さを感じさせるアメリカという異国をちょっと知ってみたくもなっている。
そこから娘のことも、その自由と孤独さを少しは理解できるかもしれない。
娘はようやく父に対するわだかまりが解けたように思っている。
なぜ長い間、そのことが話せなかったのだろう。
ロシア人の彼に対して、彼女が関係を見直すために口にした諺は英語ではなく中国の故事であったのに。

百世修来同舟渡
千世修来共枕眠

アメリカでインターナショナルな生き方を選択していたとしても、やはり彼女の血には父と同じ血が流れているのだ。


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6 コメント

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TB感謝 (kaoritaly)
2010-06-13 15:45:19
感想を読ませてもらって、思い出してました。

そう、後半に少しずつ、父と娘が理解し合おうとする気持ちが生まれて、よかったなぁ~と。

近くにいるとウザったく感じますが、何かあると心配だし・・着かず離れずないい距離を、最後に感じました。。。 
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kaoritaiyさん (kimion20002000)
2010-06-13 22:49:08
こんにちは。
そうですね。僕も父母はもう何年も前に亡くなっていますが、この作品で、また胸がキュンとしてしまいました。
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こんにちは^^ (latifa)
2010-10-27 15:36:16
kimionさん、こんにちは。
私にはまだ父がいるのですが、、、なかなか照れもあって、上手く話が出来ません・・・
存命中の内に色々親孝行しておかねば、ってこういう映画を見る度に思うんですけれどもね。
とても身につまされる内容で、風景も秋にぴったりで良かったです。
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latifaさん (kimion20002000)
2010-10-27 22:04:24
こんにちは。
秋の光景がしみじみしていましたね。
おじいちゃんは、孫と一緒に遊びたいんでしょうね。
女性の孤独も、分かるような気がします。
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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2012-11-26 21:26:21
僕自身は、親と断絶感を持ったことがないですね。子供時代は勿論、実家に戻ってからは、一日に何時間も話し合うような日々でした。

僕は偏屈でないと思うけど、子供たちは全然話しませんね。こちらが歩み寄るのも癪だし(笑)。
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オカピーさん (kimion20002000)
2012-11-27 01:25:57
こんにちは。
オカピーさんのご両親との親密さは、他人からは窺うことは出来ませんが、ある意味で奇跡のようなものかもしれませんよ。
多分ご両親の深い愛情によるものだと思いますけど、うらやましくはありますね。
その分、喪失の悲しみは大変なものがおありになるでしょうけれど。
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