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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

組長/山内溥(任天堂前社長)/85歳

2013年09月19日 | 毎日がメメント・モリ

山内溥氏死去=任天堂を世界的企業に

時事通信 2013/9/19 19:00

 

 任天堂の前社長で、「ファミリーコンピュータ」や「ゲームボーイ」などの家庭向けゲーム機を世に送り出した山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日午前、肺炎のため京都市の病院で死去した。85歳だった。自宅は同市左京区聖護院西町21。京都市出身。
 葬儀は22日午後1時から同市南区上鳥羽鉾立町11の1の任天堂本社で社葬として行う。喪主は長男克仁(かつひと)氏。葬儀委員長は岩田聡同社社長。
 早稲田大学在学中の1949年、祖父の急死を受け、トランプや花札の専業メーカーだった家業の山内任天堂(現任天堂)の社長に就任した。かるたやトランプなど娯楽用品の売り上げが伸び悩み始めた中、コンピューターゲーム機にいち早く着目。家庭用ゲーム機「ファミコン」や携帯ゲーム機「ゲームボーイ」の大ヒットを生み出し、任天堂を世界的なエンターテインメント企業に育て上げた。
 社長就任から半世紀以上が経過した2002年5月、携帯ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」などの普及、増産にめどが立ったことなどを理由に退任。ソフト開発会社から招いた岩田現社長に職を譲り、取締役相談役に退いた。
 05年6月には取締役も退任したが、約10%の株式を保有する筆頭株主としての影響力は残していた。
 経営難に陥っていたシアトル・マリナーズの筆頭オーナーになるなど、米球界にも寄与したほか、京都大学に新病棟設立のため70億円を寄付し、社会貢献活動にも力を入れていた。 

山内語録はとても面白い。

たとえば

祖父の社訓は、あくまで祖父のもの、決してぼくのものやない

任天堂でいえば、今の娯楽ビジネスは僕一代で十分だと思う。だから好きにやらしてもらっている。次の社長は僕の路線を引き継ぐ必要はない。次の社長の個性で会社を経営すればいいんです。その結果、会社が傾き、株が紙クズ同然になってもいいんですよ

世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね

花札・トランプの任天堂を電子ゲーム機器とソフトで世界企業に持っていた「中興の祖」であるが、不思議な運命からたった22歳で社長に就任していたが、待っていたのはいきなりの労働争議だった。
山内溥は、社是を嫌った。そして結局「運」でしょ、というのがこの人の口癖だった。
市場調査なんてする必要はない、市場は自分たちが作るんだから、という傲慢ともとれる発言もこの人が言うとサマになった。

任天堂に関しては、機器開発の横井軍平、マネジメントの岩田聡、ゲーム開発の宮本茂と多士済々の人材がいるが、そこで丁々発止している山内溥は、社長と言うより「組長」のようである。独特のダンディズムがあった。
マスコミの取材にも、つっけんどんだった。

僕は山内溥の投資家としての側面が何より面白い。
この人は、会社の株をさわるのではなく、個人資産を投げ出したところが特色だ。
経営危機のマリナーズを買収する時も、百人一首のテーマパークを建設する時にも、ゲーム会社を支援する投資ファンドの場合も、京都に大学病院を寄贈する時も、全部山内溥の判断だ。
スパっとしている。
だから、マリナーズの試合を見に、シアトルに行ったことなど一度もないというセリフもこの人ならではだな、と思ったものだ・・・合掌!



 


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