女優・淡路恵子さんが食道がんで死去
東スポWeb 1月11日(土)19時40分配信
女優・淡路恵子(本名井田綾子)さんが11日午後5時24分、食道がんのため都内の病院で死去した。80歳。
高校を中退後、松竹歌劇団に入団した淡路さんは、1949年に黒沢明監督の「野良犬」で映画デビュー。米映画「トコリの橋」や、成瀬巳喜男監督「女が階段を上る時」といった名匠の作品から、「社長」「駅前」両シリーズなど喜劇映画まで、幅広く活躍した。
一度結婚に失敗した後、66年に萬屋錦之介さんと再婚していったん女優業を引退。しかし、87年に離婚し「男はつらいよ・知床慕情」で復帰した。
晩年は映画「ぷりてぃ・ウーマン」に主演したほか、バラエティー番組にも出演。歯に衣きぬ着せぬ発言で親しまれた。また、芸能界屈指のゲーマーで、ドラゴンクエストをこよなく愛したことでも知られる。
ちょっと日本の女優の中でも類を見ない激動の人生であった人かもしれない。
もともと宝塚のスターであった淡島千景に憧れてこの世界に入ったから、芸名も淡路。恵子は黒澤監督がなづけた。
映画デヴューが黒澤の『野良犬』だったからだ。
『野良犬』のスチールを見てもわかるが、お嬢様女優や美人女優ではない。
ちょっと不良娘のような感じだ。
僕がこの人を多く見たのは、60年代に「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」の喜劇をわりと見ていて、その常連だったからだ。
この人の印象は、どちらかというと出演作品以外のエピソード的なものがよく残っている。
愛煙家としても鳴らしたし、「ドラクエ」などのゲーム好きは本格的だった。
フィリピン人歌手と同棲のような形で共同生活をして、その後は中村錦之介 と結婚をして借金返済と看病に尽くすも離婚、錦之介との子どもの三男、四男に関してはいろいろ事件がらみで大変だった。
晩年もテレビに時々出ていたが、舌鋒は鋭かった。
父親は海軍軍人で、母親は網元の娘だったが助産婦に。
こんな個性的な女優は、本当に日本では珍しい・・・合掌!
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